置配指定なし

観察日誌 令和三年十月十二日
母を施設へ移し、空いた家で売却前の片づけを始める。
午後六時、紙おむつ二箱が「配達完了」になった。玄関にも勝手口にもない。販売店の画面に残った配達地点は、家から四十メートル離れた路地の奥だった。
幅は軽自動車一台分。両側に家の裏口が並び、突き当たりは灰色のブロック塀で塞がれている。箱はその手前に重ねてあった。
塀の中央だけ、縦に新しいモルタルが入っている。
十月十三日
通販サイトの履歴を確認。去年父に送った電気毛布、母の杖、保存水も、地図上では同じ位置に配達されている。実際には家で受け取っていた。
宅配会社に問い合わせると、地図の印は正確な受け渡し場所ではなく、端末が配達完了を記録した地点だという。路地は狭く、運転手が奥で処理してから各戸へ戻ったのではないかとのこと。
説明はつく。
昭和三十六年
市役所で古い住宅地図を見る。現在の路地は当時、塀の向こうまで続いている。こちらは楢木町、向こうは戸伏町。町境が路地の中央を横切っていた。
父の家は楢木町四番地十二。向こう側には四番地十三がある。
昭和五十七年
航空写真では十三番地の家が消え、跡地は工場の資材置場になっている。路地の境に細い影がある。塀が造られた時期らしい。
合併後、戸伏町の名はなくなった。十三番地は資材置場へ編入され、住居表示からも落ちている。
平成九年
父の書類箱から宅配便の控えが出た。複写式の伝票が十二枚。「配達場所」の欄に、父の字で〈境〉とある。
裏に短く、〈戸伏分はこちらで渡す〉。
当時、塀の向こうの工場には夜勤があり、住宅側で荷物を預かっていたのだろう。父は自治会の班長を長く務めていた。路地を町境と呼ぶ老人もまだいたはずだ。
これも説明はつく。
平成二十六年
工場跡が月極駐車場になる。塀は残る。古い境界標が一本、路地側へ傾いている。
住宅地図会社、行政、宅配会社で町名の消える時期が違う。古い住所を照合する際、四番地十三の位置だけが塀の中央に寄せられた可能性がある。
つまり、塀は土地の境であり、昔の受け渡し場所であり、端末上の配達地点でもある。三つは矛盾しない。
令和三年十月十八日
夕方、路地を見張った。運転手は塀の前で端末を操作し、荷物を持って一軒ずつ戻った。予想どおりだった。
ただ、塀に着くたび、全員が中央の継ぎ目を避けて立つ。理由を尋ねると、一人は「電波が入りやすい場所を空けている」と答えた。別の一人は、そこが十三番の玄関だから、と笑った。
十月二十日
巻尺で確認。継ぎ目の幅は三ミリほど。反対側は駐車場で、塀に扉も郵便受けもない。
試しに古い住所へ小包を送ることにした。宛先は楢木町四番地十三、受取人は私自身。中身は未使用の巻尺一本。差出場所は駅前の取扱店。
配達員には何も尋ねない。
以下、配送事業者の配達履歴。
令和三年十月二十二日 十八時四十一分 配達完了 受渡方法:対面 受取人:森下圭介 担当者記録:袋小路奥。塀中央より応答あり。置配指定なし。 電子受領印:森下