十二月の二百円

あの洗車場では、取り壊された駐輪場の利用登録が毎年一件だけ更新されていた。
昭和六十三年、私は駅前のレンタルビデオ店で遅番をしていた。レジ脇には学校の怪談本が積まれ、腰のポケベルが鳴ると、公衆電話から店長へ折り返した。閉店後、系列店へテープを運んだ軽ワゴンを、郊外のセルフ洗車場で洗うのも私の役目だった。
十二月の夜、管理小屋の老人に呼び止められた。私は店の会員案内をワープロで作っていたので、字が整っていると思われていた。
老人が出したのは、市営駐輪場の利用登録だった。洗車場になる前、そこには駅の臨時駐輪場があり、小屋だけが残ったという。
登録には緑色婦人車、利用者は岸野ミツ。住所は取り壊された町営住宅だった。昭和五十七年から毎年、同じ十二月二十六日に更新されている。
「一枚あると、朝まで自転車が倒れん」
老人はそう言った。以前は土地が返せと言っているのだ、と騒ぐ人もいたらしい。実際には風の通り道で、洗車ホースが籠に引っかかるだけだとも言った。
私は平成元年分を書いた。二百円を受け取った印も押した。利用者欄の「岸」を、癖で少し右上がりにした。
翌年も同じ夜に寄った。老人は入院しており、小屋の鍵は開いていた。机の上に用紙と二百円が置かれていたので、私は前年と同じように記入した。洗い終えると、緑の自転車が水切り場に倒れていた。起こして壁際へ寄せた。近所の誰かが置いたのだろう。
その後も私は十二月二十六日に軽ワゴンを洗い、登録を書いた。店を辞める年、古い束を輪ゴムで留め直したとき、昭和五十七年の用紙を初めて裏返した。
表の「岸」は、私と同じ角度で右上がりだった。
老人の字も似ていたのだと思う。ほかに困ることは何もなかった。二百円はいつも用意され、自転車も起こせば済んだ。
だから平成が三年目に入っても、私は日付を確かめずにそこへ向かった。年末の夜道では、毎年同じところに信号の赤が浮かび、同じ曲がラジオから流れた。
洗車場の灯りが見えると、今年も間に合った、と私は安心した。