沖端現況確認書

平成二十一年十一月四日
総務部管財課長 殿
市民環境課主事 三宅 敦史
現地調査復命書(旧波瀬町字沖端地区における家屋現況および住居表示照合)
標記の件について、平成十七年の市町村合併に伴う資産税台帳・住民基本台帳の一元化、ならびに民間住宅地図との突合確認のため、旧波瀬町沖端地区において実施した現地調査の結果を下記のとおり報告いたします。
記
1.調査対象区域の概要
旧波瀬町の最南端に位置する沖端(おきばた)地区は、岩礁と海食崖に挟まれた幅三十メートルほどの平坦地に形成された漁業集落である。県道波瀬港線より分岐する未舗装の里道一本のみで本線と連絡しており、車両の進入は軽積載車一台分が限界である。
過疎化および高齢化が著しく、住民基本台帳上の現住世帯数は六世帯(七名)。いずれも高齢の単身世帯または夫婦世帯であり、漁船漁業を専業とする世帯は現存しない。
2.調査の経緯および事前確認事項
本調査は、管財課より依頼のあった「平成二十年度版住宅地図」と現況公図の不整合解消を主たる目的とする。
事前資料として用いた民間発行住宅地図(平成十年版、十五年版、二十年版)を時系列で比較したところ、集落最深部、すなわち海に向けてもっとも突出した護岸沿いの区画(通称・鼻先)において、以下の疑義が確認された。
・平成十年版:沖端四十七番地 世帯主「浜口 栄蔵」 ・平成十五年版:沖端四十七番地 世帯主「松谷 喜代」 ・平成二十年版:沖端四十七番地 世帯主「寺尾 定治」
公図上、四十七番地は一筆の宅地(二百十二平方メートル)であり、分筆・合筆の履歴はない。しかし、住民基本台帳を遡及調査したところ、浜口栄蔵氏は平成十二年に死亡(除票済)、松谷喜代氏は平成十七年に県外親族宅への転出として処理されている。
通常の世帯交代であれば売買または賃借に伴う所有権移転登記がなされるはずであるが、不動産登記簿上、同所は昭和四十四年以降、登記名義人が更新されておらず、固定資産税課税台帳においても名義人不在のまま保留扱いとなっていた。また、各世帯主の旧居住地が、いずれも四十七番地のひとつ手前に位置する四十六番地、四十五番地と、陸側から海側へ向かって順次移動しているように見受けられる点が特異であった。
3.現地調査経過(台風十八号来襲前)
平成二十一年九月十四日、公図および平成二十年版住宅地図を携行し、現地を訪問した。
四十七番地に所在する家屋は平屋建て木造瓦葺き、築年数は目視で五十年以上と推測される。波打ち際から十メートルほどの位置にあり、基礎部分はコンクリート擁壁で補強されているものの、海水による塩害と風食が著しい。
現況の居住者である寺尾定治氏(七十七歳)に面談し、居住の経緯および地番確認を行った。聞き取り要旨は以下のとおり。
・自身は生まれも育ちもこの家であり、引越しをした覚えはない。 ・「松谷」や「浜口」という名前は集落の古い年寄りの名として記憶しているが、彼らがどこに住んでいたかは「とっくに忘れた」と証言。 ・提示した平成十五年版住宅地図において、現在寺尾氏が居住する区画に「松谷喜代」と印字されている点については、「役所の地図屋が書き間違えたのだろう」として意に介さない様子であった。 ・家屋の海側開口部には、外側から厚さ五センチほどの黒松の一枚板(幅三間分)が閂で固定されており、採光が著しく制限されていた。寺尾氏によれば、これは「寄せ板」と呼ばれ、冬場の高波を受け止めるために代々外したことがないという。
当時、寺尾氏の認知機能に顕著な衰えは見られず、会話は明瞭であった。公図と現地の形状に決定的な不一致は認められず、過疎地特有の親族間での家屋融通、あるいは単なる地図編纂時の誤記載である可能性が高いと判断し、後日、親族への照会を行うこととして一次調査を終了した。
4.災害発生および現地の状況変化
一次調査から約三週間後の平成二十一年十月八日、大型の台風十八号が紀伊半島沖を通過した。
沖端地区では十月八日未明から早朝にかけて満潮と暴風域が重なり、局地的な高潮が発生した。同日午前六時三十分頃、隣接する四十六番地の住民より「四十七番地の家が波に呑まれた」旨の通報が波瀬支所に寄せられた。
同日午後、消防団および警察による現地確認が行われた。四十七番地の家屋は基礎のコンクリート部分を残して上屋が完全に倒壊・流失しており、居住者の寺尾定治氏は行方不明となった(後日、沖合約三キロメートル地点にて発見、死亡が確認された)。
5.事後調査経過(家屋滅失および境界確認)
平成二十一年十月二十九日、罹災証明発行および資産税台帳上の滅失処理に伴う現地境界確認のため、再度沖端地区を訪問した。
海は穏やかに澄んでおり、四十七番地があった場所は、波で洗われた平らな基礎石と砂利が残るのみとなっていた。流失したがれきの大部分は引き波によって海中に没したと見られ、現場周辺はきれいに片付いていた。
これにより、沖端地区における最端部の家屋は、ひとつ手前(陸側)に位置する四十六番地・角野トヨ氏(八十一歳・単身)の家屋となった。
角野氏宅を訪問し、四十七番地の境界確定書類への署名・捺印、および角野氏宅の罹災状況の聞き取りを行った。角野氏宅の被害は床下浸水にとどまり、家屋本体への致命的な損傷は認められなかった。
手続きの際、角野氏は極めて落ち着いた態度で応対した。寺尾氏の事故死についても取り乱す様子はなく、「潮の番が終わったのだから仕方がない」と淡々と述べるのみであった。
調査の過程で、以下の事項を確認した。
角野氏宅の居間および縁側は海側(旧四十七番地側)に面しているが、その開口部に、真新しい釘穴や金具を一切用いず、厚さ五センチほどの黒松の一枚板が閂でぴったりと固定されていた。
当職が一次調査の際に四十七番地(寺尾宅)で確認した「寄せ板」と、材質、風化の度合い、染み付いた塩の跡が極めて酷似していた。寺尾宅の上屋は基礎を残して完全に流失しており、家財や建具の回収は不可能であったはずである。
当職がその板について尋ねたところ、角野氏は「うちの家に昔からあったものだ」と返答した。柱に打ち付けられた受け金具は、長年の潮風によって黒く錆びており、最近取り付けられたものには見えなかった。開口部の寸法と板の長さは寸分の狂いもなく合致していた。
6.調査所見および今後の処理について
四十七番地の家屋については、現地調査の結果に基づき、平成二十一年十月八日をもって「全壊・滅失」として固定資産税課税台帳より除却する手続きを進める。
なお、住宅地図の表記変遷、および住民の証言の食い違いについては、以下のとおり推論する。
本集落では過去数十年にわたり、数年から十数年規模で発生する高波や護岸決壊により、もっとも海側に突出した家屋が流失・除却される事態が反復して発生してきた記録がある。その都度、隣接する家屋が繰り上げの形で「海端」となり、住居表示や通称番地が曖昧なまま、外形的な生活形態のみが引き継がれてきたものと考えられる。住民たちの言動に見られる事実の混同は、加齢に伴う記憶の固定化、ならびに過疎化による相互扶助の慣習が極端な形で現れた結果と解するのが妥当である。
ただし、一点のみ、行政記録上において合理的な説明が困難な事項がある。
角野氏より提出された罹災届出書に押印された印鑑(三文判)の印影を、旧波瀬町から引き継いだ印鑑登録原票と照合したところ、角野トヨ氏の登録印影ではなく、平成十七年に除票となった「松谷喜代」氏の登録印影と完全に一致した。
角野氏にその旨を指摘したところ、氏は手元の判をしばし見つめ、「引き出しに入っていたのをそのまま使った。誰の名前が彫ってあるかは、目が見えにくくて分からない」と静かに答えた。
四十六番地の角野宅の窓を塞ぐ松の板には、海側に向かって、かすれた白ペンキで「四十六」と書かれた跡の上に、より古い「四十七」の数字が重なって残されているのが確認された。波の音は、一次調査時よりも確実に家屋のすぐそばまで近づいている。
本件に関する図面および台帳修正案を別添のとおり作成いたしましたので、ご決裁のほどよろしくお願い申し上げます。