ホラムゲン

郷土案内

空の陳列棚と受信機が残る旧療養所の資料館

ようこそお越しくださいました。当館は鳴瀬市の発展を後世に伝えるため、本日開館いたしました。ご覧の通り、展示品はまだございません。どうぞ空の陳列棚から順にお進みください。

〔注一〕 建物は明治四十二年に開かれた市立静養所の旧病棟である。市街電車の延伸後、周囲に借家が増え、療養所は昨年、北山へ移された。市役所は建物を取り壊さず、郷土資料館とした。

右手第一室では、鳴瀬の交通と通信をご紹介する予定です。電話交換手の卓、乗合自動車の切符、活動写真館の週報などを陳列することになっております。

〔注二〕 「予定」と申したのは、品物が届かなかったためである。交換局は古い卓も予備になると言い、活動写真館は週報を糊で壁に貼ってしまった。百貨店から寄贈されるはずだった開店時の飾り時計も、売場主任が「以前から食堂に掛かっている」と返事をした。

誰も約束を破ったつもりはなかった。市役所の収受印がある寄贈目録を見せても、皆、空の品名欄を眺めるような顔をした。私も催促はやめた。郷土とは、現に使っているものではなく、使わなくなってから生じるものらしい。

次に第二室へ参ります。こちらでは市内放送事業の沿革を――いや、沿革はまだございません。鳴瀬放送局が試験放送を始めたのは、今月三日です。

〔注三〕 開館前夜、新聞のラジオ番組表を切り抜いて資料にしようとした。午後七時の欄には「郷土資料館案内」とあった。局へ電話すると、交換手は私の名を聞いただけで資料館へ繋ぎ直した。呼鈴は、私が電話を掛けている机の上で鳴った。

翌朝、市役所へ番組表を持参した。課長は誤植とも企画とも言わず、「初日は、はっきり話したまえ」とだけ注意した。百貨店は屋上の聴取会に椅子を五十脚並べ、活動写真館は本篇とニュースの間に放送を聞かせると広告した。館内に送話器がないことを申しても、誰も聞き返さなかった。

午後七時になりましたので、ただいまから第三室をご案内いたします。この部屋は旧静養所の談話室でした。壁紙だけは当時のままです。

〔注四〕 七時ちょうど、事務室の受信機から私の声が流れた。私はまだ第三室の入口に立ち、口を閉じていた。

声は「壁紙だけは当時のままです」と言い、そのあと、壁の染みを鳴瀬川の形に見立てた説明を始めた。その文句は私の原稿になかった。それでも聞いているうち、次に来る言葉が自分の考えのように浮かんだ。私は受信機の声に半呼吸遅れて同じ案内をした。

守衛の老人は廊下で帽子を取り、昔はこういうことを祟りと呼んだ、と小さく言った。何が起きることを指すのか尋ねると、老人は困った顔をした。「起きても、みんな用事を続けることです」と答えた。旧静養所の患者について尋ねたとき、市役所の者も近所の者も同じ顔をしたことを思い出した。

放送が終わると百貨店から電話があり、展示品がよく見える案内だったと礼を言われた。何が見えたのかは聞かなかった。活動写真館からは、病室の寝台だけ暗すぎたとの苦情が来た。当館に寝台はなく、第三室には壁紙しかない。

〔補記〕 翌日の番組表にも同じ題が載った。市役所から原稿は届かず、局から打合せの連絡もない。だが七時になると受信機が先に話し、私は館内を歩きながら、それに続く。

空の棚の前で声は、電話交換台、飾り時計、患者の籐椅子、名前を削った薬瓶を順に説明する。聴取者からは、懐かしい、よく保存した、捨てずにいてくれて安心した、という葉書が届く。差出人の中には、それらを今も使っているはずの人々もいる。

私はもう訂正しない。展示物がないと言うと、かえって皆が不安になる。壁紙の染みも、夕方ごとに少しずつ形を整え、今では立派な市の地図に見える。

今夜は旧病室の名札を案内するらしい。受信機の声が、私の名を最初に読んだ。空いていた釘へ名札を掛けると、ようやく館内が落ち着いた気がした。

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