背の順

今年の子供たちは、背の順が定まりません。
出征された先生の机をそのまま使わせていただいて、もう二度目の春が参りました。町内の金属回収は講堂の窓枠にまで及び、近頃ではラジオの夕刻報知も雑音ばかりが目立ちます。放課後、遮光暗幕を降ろしたままの理科準備室で一人、春季身体検査の結果票を整理しておりますと、黒板の向こうの運動場から、学徒鍛錬の乾いた号令ばかりが響いてまいります。
先生が受け持っておられたあの悪童たちも、今年は高等科に上がりました。男子十六名、女子十四名。先生の几帳面な筆跡で残された前年の検査票と引き比べながら、竹の尺杖で測った数値を新票へ写し取るのが、ここ数日の私の放課後の務めでございました。
その奇妙な差に気づきましたのは、三日前の薄暮です。
名簿の先頭におります木工所の寛次ですが、昨秋の控えでは四尺四寸二分とありました。それが先週の測定では四尺八寸五分を記録しております。半年で四寸余り伸びた計算になります。男子の育ち盛りとはいえ、いささか急激に過ぎます。測り間違いかと思い、翌日の放課後に彼を準備室へ呼び戻し、柱の目盛りに立たせてみました。ところがそのときは、四尺三寸しかございません。むしろ縮んでおります。寛次本人は「昨日は朝飯を抜いたからだ」と笑うばかりで、首を傾げて帰っていきました。
おかしなことは続きました。翌日、同じ組の芳雄を測り直しますと、検査票には四尺二寸とあるのに、目盛りは五尺二寸を指しました。五尺二寸といえば、立派な成人男子の背丈です。目の前に立つ芳雄は、綿入れの袖を余らせた十二歳の子供の顔をしております。私の胸元あたりを見上げているはずなのに、頭頂の板を水平に渡すと、私の頭より遥かに高い位置で木片が止まるのです。手を伸ばして板を当てている間、私の掌には、硬く引き締まった骨と、粗い軍布のような手触りが確かに伝わってまいりました。しかし見下ろせば、芳雄は薄汚れた国民服の筒袖から赤く霜焼けした手を出して立っているのです。
物資不足の折、町内の写真館が海軍志願兵の宣伝用にと、高等科の身体検査風景を撮影していったガラス乾板がございます。現像の薬品も配給頼みで質が落ちておりますが、理科準備室の隅で私が焼き付けました密着印画が、いま手元に五枚ございます。
写っているのは、検査着の子供たちの列です。ただ、列の並びがどうしても合いません。
名簿順に並ばせたはずのその写真の中で、寛次は、現在の彼より明らかに肩幅の広い、頬のこけた青年として写っております。軍需工場の作業帽をかぶり、背丈は五尺三寸を超えて見えます。そのすぐ隣に立つ芳雄は、写真の中では寛次の腰ほどしか背丈がありません。顔立ちは十二歳そのままで、足元が薬品の染みのように薄くぼやけ、背後の薬品戸棚の木目が体を透かして見えております。
写真館の主人は、古い板を磨いて再利用したための二重露光だと申しました。薬品のむら、あるいは戦時粗悪品の感光乳剤が起こした影のいたづらであると。準備室の西日が暗幕の破れから差し込む時刻、光の屈折が硝子戸に反射して見せる錯覚なのだと、理科を教える者として自分に言い聞かせようともいたしました。あるいは、食糧の代用食ばかりが続いて、私の眼窩の奥が疲弊しているだけなのかもしれません。
ですが先生、芳雄の身体検査票の裏に、私はどうしても訂正の線を引くことができません。
いま、この薄暗い部屋で一人、乾きかけた印画紙を見つめ直しております。写っている子供たちはみな、異なる年月の影を身にまとっております。ある者は二十歳を越えた筋骨逞しい偉躯となり、ある者は現在の子供のまま小さく硬直し、またある者は、影ばかりが異様に長く伸びて頭部が講堂の梁にまで達しております。彼らは同じ春の、同じ四月の光の中に集められながら、互いにまったく異なる時間の長さをもって並ばされているように見えます。誰が先に大きくなり、誰がいつまでも子供のままなのか、測定台の竹尺は何ひとつ教えてくれません。
明日は全校の整列がございます。毎朝の訓話のたび、背の順に並び直すよう子供たちに命じるのが、近頃ひどく恐ろしく思われます。
今年の子供たちは、背の順が定まりません。
昭和十八年四月二十日 第一国民学校 高等科担当教員室日誌(抜粋)
『第二理科準備室机上ニ放置サレタル未投函書状一通、並ビニ児童身体検査簿之控ヲ回収ス。差出人タル訓導佐藤キヨ、過日ヨリ欠勤ノ届出ナキ儘所在不明トナル。憲兵分遣隊ニ依ル室内臨検相済ム。印画紙ト称スル紙片八枚ハ感光過度ニ因リ全面黒変シ居リ、判読不能ニ付焼却処分トス。児童三十二名ノ体格記載ニ異常ナシ。』