ホラムゲン

保護者会席上筆記

明治後期の薄暗い教員室の机に置かれた名簿と、窓の向こうに見える炭鉱の坑口

明治四十年十一月七日 私立鷲尾炭鉱尋常小学校 保護者会臨時幹事会議事筆記

開会:午後四時十五分 場所:同校第二教員室 出席者:  幹事長 学校長    伊東敬介  幹事  鉱業所労務主任 大迫利三郎  同   保安掛頭取   成瀬平吉  同   一番坑鉱夫総代 松木直蔵  同   二番坑鉱夫総代 兼松友次 記録:  書記嘱託    小松栄三郎

第一議題 冬期通学路変更及第二坑口前詰所利用ノ件 第二議題 児童名簿改訂ニ伴フ「員外控」確認ノ件

午後四時十五分、伊東幹事長、開会ヲ宣ス。

○伊東幹事長 「定刻ト相成り候間、臨時幹事会ヲ開く。本日は十一月一日付ヲ以て施行の小学校令改正ニ伴ふ学級編制、並びに冬期通学路の保安上に関し、鉱業所側及鉱夫総代諸賢の意見を聴取致したく招集せし次第。記録は小松書記、遺漏なき様願ひ度し」

○大迫幹事(鉱業所労務主任) 「早速なれど第一議題に入られたし。本月十五日より第二坑の排気坑道拡幅工事が始業となる。つきましては、従前児童らが通学路として用ゐたる坑口線(トロッコ軌道脇の小道)は、資材運搬頻繁につき児童の通行を禁ずることと致したい。代へて山裾の旧社宅裏手を迂回せしむる所存なるが、学校側の見解は如何か」

○伊東幹事長 「迂回路は距離にして五町ほど延び、また冬期は積雪、凍結の虞れあり。殊に第二坑口前を通過せざるとなれば、詰所での毎朝の点検を欠くこととなるが、其の点は鉱夫総代側として支障なきや」

○松木幹事(一番坑鉱夫総代) 「支障あり。大いに困る。詰所前を通らねば、朝の頭数が入らぬ。坑口を通らぬ迂回路など、坑夫の親どもは誰一人承知すまい」

○大迫幹事 「松木君、軌道上を子供が歩くは危険極まりない。鉄道局からも先月、厳重なる注意を受領してをる。会社としてもこれ以上の轢過事故は避けねばならん。頭数と仰るが、学校の出欠は教室で取れば足るではないか」

○松木幹事 「大迫主任は昨年東京から来られたばかりゆえ、呑気なことを言はれる。教室で取った点呼が、地下二百尺の切羽に何の効果があるか。第二坑の口元を素通りして子供が山を越えれば、その日の二番番(中番)の切り羽は必ず鳴る。風が落ちるのだ」

○成瀬幹事(保安掛頭取) 「鳴るといふ表現は社命の報告書には書けぬが、事実ではある。第二坑の斜坑底、第三切羽から第四切羽にかけて、十一月から二月にかけての気圧降下時に、坑口へ向けて猛烈な逆風が走る。通気筒の扇風機を幾ら廻しても押し戻される。其の折、坑口詰所の前に子供等の声がして、帳面通りの足音が響けば、風は十尺ばかり退いて坑道内に留まる。理由は解らん。大気圧の加減であらうが、長年の実地として、詰所前の点呼を止めることは保安掛としても賛成しかねる」

○伊東幹事長 「成瀬氏の言の通り、明治二十八年の開坑以来、歴代の校長並びに納屋頭の間で取り決められし習慣に御座候。子供等に危険を冒させる意図は毛頭なく、ただ坑口詰所前の踏段を、名簿の順序に従ひ登校時に整列通過せしむるのみ。これ迄に何らの実害も生じて居らず、むしろ炭山全体の安寧を維持する教育的奉仕と解釈し来たりたるものなり」

○大迫幹事 「その『習慣』なるものの書類を、私は社内で探したが何処にも見当たらぬ。名簿の順に朝、児童を坑口へ並ばせ、詰所の窓から保安員が板札を一枚ずつ箱に落とす。あれは何の作業か。会社公認の保安規程には一切記載がない」

○兼松幹事(二番坑鉱夫総代) 「書類などある筈がない。あれは日清戦争の前の冬、大崩れがあって三十人ばかり閉じ込められた時、当時の詰所番が、親を探して坑口に集まって泣いてゐた尋常科の子供らの名を順に呼んだところ、奥の地鳴りがぴたりと止み、翌朝全員が生還したことに端を発してゐる。以来、冬の間は欠かさずやってゐる。神仏の類ではない。ただ、風を塞ぐには子供の名が要るのだ」

○大迫幹事 「非科学極まる。だが、現場の作業員が其れで動揺し出坑を拒むとなれば、石炭の増産命令に響く。……解った。軌道脇に木柵を設け、児童専用の細道を第二坑口詰所の窓前を通るやう敷設する。之ならば鉄道局の監査も通らう。但し、第一議題は其れで済むとして、問題は第二議題だ。伊東校長、名簿の『員外控』とは何か。労務課に提出された就学児童名簿の末尾に、鉛筆書きで三名の児童名があるが、戸籍簿にも社宅入居名簿にも見当たらぬ」

(小松書記注:大迫幹事、鞄より本年度保護者名簿の写しを取り出し、卓上に提示す)

○伊東幹事長 「其の件に付て、本日鉱夫総代の両名と協議を要する次第。今般の小学校令改正に伴ひ、義務教育年限が四箇年から六箇年に延長相成り候。これに依り、郡役所及視学官の学籍監査は厳を極め、戸籍と符合せざる児童の在籍は一切認められざる方針と相成り申した」

○松木幹事 「困る。三名の控(ひかへ)を削られては、詰所の札が足りなくなる」

○大迫幹事 「待たれよ。足りなくなるとは如何なる意味か。現実に社宅に住んでゐる坑夫の子供は、名簿にある八十六名で過不足なき筈だ。此の『ヤマダトメ吉』『ハラダキヌ』『ツルタ庄六』の三名は、実在する児童なのか」

○兼松幹事 「昔は実在した。十年前か、十五年前かは知らん。だが其の三つの名は、第二坑が風を吹き出す時に、どうしても帳尻を合はせるために残してある名だ。坑口の風は、日によって欲しがる数が違ふ。寒波の強い朝は、八十六名では通り過ぎる時間が足りんのだ。札を落とし切る前に子供の列が途切れると、坑口から冷たい息が吹き上がって、詰所の硝子を内側から叩き割る」

○大迫幹事 「馬鹿馬鹿しい。硝子が割れるのは坑内ガスか通気管の気圧差だ」

○成瀬幹事 「大迫さん、貴方は一度でも冬の明け方、あの第二坑の詰所の中に立ったことがあるか。ガス検定器の針は微動だにせん。無臭で、ただ異様に冷たい風だ。氷水に浸した濡れ筵(むしろ)を顔に押し当てられたやうな冷気だ。その風が上がって来ると、坑口の暗がりから、カタカタと木札の擦れ合ふやうな音が聞こえる。其の時、窓の外に子供が残ってゐて、詰所の台帳に名前が読み上げられてゐる間は、風は外へ出ない。だが名が尽きて、子供の足音が絶えると、風は詰所の床下を抜けて社宅の方へ這ひ出して行く。其の冬は、必ず風が通った筋の長屋から病人が出る。それも、子供ばかりが肋膜を病んで死ぬ」

○伊東幹事長 「成瀬氏、怪異の類を公の会議で語るは慎まれたし。……然しながら大迫幹事、学校側としても苦慮致して居る。本校は炭鉱の私立とはいえ、教育課程は官公立に準ずるもの。視学官の査察に際し、実体なき児童三名の名を名簿に掲置し置くことは、公金横領(就学補助費の不正受給)の廉を疑はれ兼ねまじき事態に御座候。県への提出名簿からは、此の三名を完全に抹消せねばなりませぬ」

○松木幹事 「抹消するなら、代はりの生きた子供を三名、名簿に足して貰はねばならん。どこぞの社宅から融通できんのか」

○大迫幹事 「無茶を言ふな。戸籍にある子供しか名簿には載せられん。現在、鷲尾炭鉱の就学可能児童は男子四十八名、女子三十八名、計八十六名。一人の水増しも、一人の隠蔽も、今の労務管理では許されんのだ」

○兼松幹事 「融通といふなら、未就学の乳飲み子でも良い。名を貸せ」

○伊東幹事長 「義務教育前の幼児を名簿に登載することは法令違反に候」

○松木幹事 「法令法令と、伊東先生は坑が止まっても其のやうな口が利けるのか。一番坑も二番坑も、山が荒れれば石炭など一斤も出なくなるぞ。飯が食へんやうになれば学校もへちまもあるまい。大迫さん、あんた会社を代表して此処に来てゐるなら、何とかしなさい。名が三つ足りんのだ。来週から霜が降りる。風が上がって来るぞ」

(教員室外、俄かに突風吹き過ぐる音あり。窓框、激しく振動す。一同、暫時沈黙)

○大迫幹事 「……その風は、必ず『児童』でなければならんのか」

○成瀬幹事 「何だと」

○大迫幹事 「いや、成瀬頭取の言に従へば、坑口の風とやらが欲してゐるのは『保護者名簿』に記載された名前の数であり、かつ毎朝、詰所前を通過して名が呼ばれる者の足音であらう。ならば、児童に限る必要はあるまい」

○伊東幹事長 「大迫幹事、其れは如何なる意味か」

○大迫幹事 「本校の保護者会規約の第九条を見られたし。『保護者とは児童の直系尊属、又はこれに準ずる後見人を指す。但し特別の事情ある場合は、鉱業所職員又は学校教職員を以て保護者代理と為すことを得』とある。即ち、保護者名簿の末尾に、保護者代理たる単身の成人を三名、正規の構成員として追加登載すれば良い。これならば学籍名簿の児童数には影響せず、県視学の監査にも何ら抵触せぬ。名簿の頭数は八十九となる」

○松木幹事 「大人の名で、風が納得するか」

○兼松幹事 「いや、どうだらうな。昔、開坑の折に納屋頭の連中が神棚に供へてゐた木札は、鉱夫の名だったと聞く。子供を並ばせるやうになったのは、単に子供の方が朝の時間が決まってをり、都合が良かったからに過ぎん。足音と、名を呼ぶ声が揃へば、大差ないかも知れん」

○成瀬幹事 「だが、通過せねばならんのだぞ。子供等の列の最後尾について、毎朝、六時半の点呼に第二坑口の詰所前を歩かねばならん。風の強い朝は、足首を氷のやうな手で掴まれるやうな重みがある。大人であっても、あれを毎日浴びて無事で済むかどうか」

○大迫幹事 「社宅の鉱夫から出せば軋轢が生じる。独身寮の鉱員か、あるいは学校側から出すのが筋であらう。伊東校長、学校側で毎朝の点呼に立ち会へる単身の職員はおられるか」

○伊東幹事長 「本校の教員は皆、家庭を持ち、あるいは宿直等の分担ありて余裕なき状態に候」

○大迫幹事 「ほう。然らば、其処で筆記を執ってゐる小松君はどうだ」

(小松書記注:大迫幹事、突如筆記者を指頭す)

○小松書記 「私でありますか」

○大迫幹事 「小松君は今年、郡役所の学務課から炭鉱の嘱託書記として出向して来られたばかりだ。独身で、学校の使丁部屋に寄宿してをられる。身元も確かであり、役場の戸籍謄本とも照合がつく。小松君が保護者代理として名簿に名を連ね、毎朝、児童の通学監督として第二坑口の前を列の最後尾で通過する。之ならば、学校・鉱業所・行政の三者において何らの齟齬も生じまい」

○伊東幹事長 「うむ……小松君は役場からの出向ゆえ、学籍の取扱ひにも明るい。通学指導の名目であれば、対外的にも極めて自然な措置と言へる。松木さん、兼松さん、如何であらうか。小松書記を一名として充当する件は」

○松木幹事 「わし等は頭数が合へば文句はない。だが、あと二名足りんぞ」

○大迫幹事 「残る二名は、鉱業所詰所の独身警備員から二名、輪番で保護者代理として名簿に記載する。明日中に人選を終へ、伊東校長へ報告致さう。これで三名の不足は埋まる」

○成瀬幹事 「大迫さん、あんた本当に解ってゐるのか。小松書記、あんた第二坑の朝の詰所を見たことがあるか」

○小松書記 「いえ、私は先月着任したばかりで、まだ構内の全容を把握致して居りません」

○成瀬幹事 「なら、明日の朝、六時に一番坑の詰所へ来てみろ。二番坑を見る前に、一番坑の朝の交代を見ておいた方がいい。あの詰所の机の下にはな、前の年に風を浴びて倒れた者の名札が、まだ十枚近く貼り付いて剥がれんのだ。剥がそうとすると、木の繊維ごと板が破れて、下から髪の毛のやうな細い泥炭の筋が出てくる。あれは炭粉じゃない。坑道の奥から吸い寄せられた、何かの燃え滓だ」

○伊東幹事長 「成瀬氏、妄言は慎まれよ。小松書記が怯懦の念を抱けば、明朝からの業務に支障を来たす」

○松木幹事 「怯懦も何も、引き受けたからには逃げられん。保護者名簿に一度墨で名を書いたら、次の春の改訂までは絶対に消せんのだ。途中で抜けると、其の抜けた穴から風が吹き込む。去年、勝手に夜逃げした鍛冶屋の倅の名を名簿から消せなんだのも、其の為だ。春までその倅の木札を毎朝落とし続けたが、札を落とすたびに、箱の中から『はい』と返事がした。誰もゐない詰所の中でだ」

○大迫幹事 「総代、議事録に残らぬ無駄話は其処までにして頂きたい。小松君、議事筆記の手を止めるな。正確に書き留めよ」

○小松書記 「……はい」

○大迫幹事 「第二議題、決議と致したい。保護者名簿末尾の『員外控』三名を削除し、代へて保護者会規約第九条に基づき、保護者代理として小松栄三郎書記、並びに鉱業所警備員二名を名簿に登載する。児童通学監督の任を兼ね、冬期間、第二坑口詰所前の定時通過を行ふものとす。伊東幹事長、採決を」

○伊東幹事長 「異議なきや」

(一同、異議なしと認む)

○伊東幹事長 「満場一致を以て原案の通り可決す。小松書記、直ちに名簿の清書に取り掛かられたし。本夕中に鉱業所及保安掛の捺印を了し、明朝の登校時より適用するものとす。以上を以て臨時幹事会を閉会とす」

閉会:午後五時二十八分

上記決議の正確なることを証する為、幹事各自茲に署名捺印す。

幹事長 伊東敬介 [印] 幹事  大迫利三郎[印] 同   成瀬平吉 [印] 同   松木直蔵 [印] 同   兼松友次 [印]

(以下、別筆にて余白に殴り書きあり)

清書などできるわけがない。 名簿の台帳を開いた。私が名前を書くはずの八十七番目の欄には、まだ墨も入れていないのに、紙の地肌が濡れたように黒ずみ、触れると指先が凍りつくほど冷たかった。 教員室の窓の外、二町ほど先の山腹にある第二坑の坑口から、ゴオという低い唸り声が響いてきた。風の音ではない。地面の底深くで、何千人もの人間が一斉に冷たい息を吸い込んでいるような音だった。 宿直室の引き出しから手提げ鞄を取り出し、財布と鉄道の回数券だけを掴んだ。 伊東校長が廊下から「小松君、印鑑を持ってきたかね」と呼ぶ声が聞こえたが、私は返事をせず、教員室の裏窓から社宅裏の雑木林へ飛び降りた。 駅へ向かう道は使えない。第二坑口の前を通らねば駅へは出られないからだ。 私は線路と反対側の、まだ雪の残る険しい炭車道へ向けて、夢中で闇の中を駆け上がった。背後で、遠く坑口の詰所の方から、カラカラ、カラカラと、誰もいないはずの板札が立て続けに落ちる乾いた音が響いていた。

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