中庭の券面

供述調書
本籍 神奈川県横須賀市小川町 住居 東京都町田市原町田 職業 大学生(私立啓和大学法学部二年) 氏名 小坂 洋平 昭和五十四年十一月三日生
上記の者に対する平成九年十一月十六日発生の工藤亮太失踪事案に関する参考人供述調書を次のとおり作成する。
私は、警察官から、一昨日、本町四丁目の栄和第一ビルの中庭で工藤亮太の所持品が発見された件について質問を受けましたので、私の知っている事実をありのままに話します。
工藤とは県立横須賀北高校の同級生でした。二人とも同じ写真部にいて、放課後はよく暗室でフィルムの現像をしたり、駅前のファミリーレストランでだらだらと話したりしていました。工藤が姿を消したのは、高校三年生だった平成九年の十一月十六日です。日曜日の夕方、自宅から自転車で出たきり戻らなくなり、現在も見つかっていません。
栄和第一ビルのことは覚えています。一階にネットカフェが入る前は、小さなパソコン部品の店と書道教室が入っていた、四階建ての古い商業ビルです。私と工藤はそのビルの向かいにある塾に通っていました。塾の自習室が満席のとき、工藤が「いい場所がある」と言って連れて行ったのが、そのビルでした。
四階建てのロの字型になった建物の真ん中に、縦に細長い中庭がありました。吹き抜けの底のような場所で、四方をコンクリートの壁と非常階段に囲まれていて、屋根はありません。上を見上げると、ビルの縁で切り取られた狭い四角い空が見えるだけでした。底には黒っぽい砂利が敷かれていて、真ん中に枯れかけた丸い植木鉢が二つ置いてありました。外からは直接入れず、一階の非常用廊下の突き当たりにある重い鉄扉からしか出られない構造でした。ただ、その扉はいつも鍵がかかっていて、普段は誰も入れないはずでした。
私が見せられた定期券は、間違いなく工藤のものです。磁気式の通学定期券で、京急線の北久里浜駅から追浜駅までと印字されています。右上が少し欠けているのも、工藤が定期入れから出し入れするときに爪で引っかけて削れたものだと思います。工藤はこの定期入れを首から提げていました。
刑事に「あの中庭に工藤と入ったことがあるか」と聞かれましたが、私は入ったことがあります。一度だけです。
時期は、工藤がいなくなる直前、平成九年の十月下旬だったと思います。木曜日でした。夕方の五時過ぎで、あたりはもう薄暗くなっていました。工藤が「扉のノブをガチャガチャやってたら開いた」と言うので、二人で非常階段の下をくぐって、砂利の上に降りました。ひどく湿っぽい匂いがして、頭の上で室外機のファンが低く唸っていました。二人で植木鉢の縁に腰をかけて、缶ジュースを飲みました。工藤が「ここは音が響かないな」と言いました。確かに、すぐ表の通りには車がたくさん走っているはずなのに、タイヤの音もクラクションもほとんど聞こえず、ただ上から風が吹き下りてくるだけでした。
どれくらいそこにいたかはよく覚えていません。工藤がポケットから定期入れを出して、指でくるくると回していたのを覚えています。そのあと、工藤が急に立ち上がって、砂利の上にしゃがみ込みました。「定期を落とした」と言って、暗がりの中を手探りで探していました。私も手伝って、二人でコンクリートの隅を探しました。見つかったのは排水溝の鉄格子の隙間でした。工藤は指を突っ込んで、泥だらけになった定期券を引っ張り上げました。私が「拭けよ」と言ってポケットティッシュを渡しました。工藤はそのティッシュで磁気面を拭いて、制服のズボンで手をこすっていました。
そのあと、二人で中庭を出て、鉄扉を閉めました。鍵は自然にカチャリとかかりました。塾の授業が始まる時間だったので、私たちは走って通りを渡りました。私の記憶にあるのは、その日の夕方のことです。
ですが、先ほど刑事から説明された内容は、私の記憶とまったく違っています。
あのビルの非常扉は、平成六年にビルの管理会社が南京錠を取り付けて以来、一度も開けられた記録がないと聞かされました。今回、排水溝の清掃作業で外注の業者が鍵を開けて入るまで、五年以上施錠されたままだったそうです。錆びついていて、鍵穴に油を差さなければ開かなかったと聞きました。
それから、見つかった定期券の券面の日付です。刑事に見せてもらった現物を見て、私は自分の目を疑いました。有効期限の開始日が「平成九年十一月十六日」と印字されていました。工藤がいなくなった当日の日付です。
工藤が定期を落として泥を拭いたのは、私と一緒にいた十月の木曜日のはずです。十一月十六日は日曜日でした。その日、私は高校の模試を受けに一人で横浜へ行っており、夕方まで横須賀には戻っていません。工藤と会えるはずがありませんでした。十一月十六日に発行された定期券を、十月に落とすことなどできるはずがありません。
「十一月十六日の日曜日に、一人であの中庭に行ったのではないか」と刑事は言いました。でも、あの中庭にいたときの光景は、あまりに鮮明です。二人で並んで植木鉢に座り、冷たい缶コーヒーを飲んで、工藤が落とした定期を泥から拾い上げました。拾い上げた定期券の端の欠けを、私は自分の目で確認しました。工藤の笑った顔も、ティッシュを丸めてポケットに入れた動作も、はっきりと覚えています。
では、私が一緒にいたあの日、工藤が拾い上げたものは何だったのでしょうか。
私は十月のあの日、誰と一緒にあそこにいたのでしょうか。もし工藤だったとしたら、私たちはあの中庭で、まだ手元に存在していないはずの定期券を拾っていたことになります。あるいは、私が覚えている十月の木曜日の出来事そのものが、十一月十六日の日曜日に工藤が一人で中庭にいたときの出来事と、いつの間にか入れ替わってしまっているのでしょうか。
もう一つ、どうしても納得できないことがあります。あの定期券の裏面、磁気の部分に、爪で引っかいたような細かい筋が何本も入っていました。刑事は「排水溝の砂利で擦れたのだろう」と言いました。でも、あれは擦れた跡ではありません。数字の形をしていました。何度も、何度も、狭い溝をなぞったような跡でした。あれを工藤がつけたのか、それとも別の誰かがつけたのかは分かりません。
私が知っていることは、これですべてです。嘘はついていません。でも、何が本当だったのか、自分でもだんだん分からなくなってきました。
【追記メモ】平成十九年十一月二十一日 本件失踪事案より十年が経過。工藤亮太の行方は依然として判明せず。 栄和第一ビルは昨年秋に解体され、現在はコインパーキングとなっている。解体時の立ち会い捜査において、旧中庭部分の地中および基礎コンクリートから不審な埋没物は発見されなかった。
なお、参考人・小坂洋平については、大学卒業後に地元信用金庫へ就職、現在は平穏に生活している。本年九月に任意で面通しを実施した際、本人は高校時代の工藤に関する記憶の大半を失失しており、「写真部で一緒だったことは覚えているが、顔や声は思い出せない。中庭の話も、自分がなぜそんな調書を取られたのか分からない」と述べるにとどまった。