二列目の名札

おや、もう空ですか。すみません、徳利をもう一本つけてもらいましょう。いや、手酌で結構です。あなたとこうして神田の小路で呑むのも、ずいぶん久しぶりのような気がしますな。市電の音がここまで低く響いてくるのが、なんだか妙に落ち着く。
いえね、今夜あなたをお誘いしたのは、ほかでもないんです。先週、日本橋の三越へ寄った帰りに、ふと古本屋の店先で古い写真帖を見かけましてね。台紙の厚い、大正の半ば頃の集合写真です。あれを見た途端、胸のあたりが妙に冷えびえとしてきて、どうしても誰かに話しておきたくなった。気味の悪い話ですよ。何か化け物が出るとか、刃傷沙汰があるとか、そういう派手なものじゃありません。ただ、辻褄が合ってしまうという、それだけの話なんです。
大正十二年の春、日光へ向かう貸切列車の前で撮られた、三十人ほどの男子生徒の肖像。灰色の詰襟、白線が二本入った鳥打帽。前列の真ん中には、髭を蓄えた引率の教員が堅い顔で腰掛けている。写真の裏には、鉛筆の薄い筆跡で、出席者の姓が几帳面に並べられている。
話は、私の中学時代まで遡ります。といっても、私の話というより、二つ年上の従兄――敏彦さんの話です。敏彦さんは体が弱くてね、中学の四年に上がる頃に胸を患いまして、学校を休学して療養することになったんです。
敏彦さんの実家は本所四ツ目にあった大きな材木問屋でしてね。敷地の裏手、運河に面したところに、母屋から渡り廊下で離れた古い土蔵がありました。二階建ての、いわゆる文庫蔵です。湿気が少なく、川風が通るからというので、その蔵の二階を改装して、敏彦さんの病室に宛てがったんです。太い梁が剥き出しになった薄暗い部屋でね、窓には真新しいガラスが嵌められ、外国製の鉄製寝台が置かれていました。階下には帳簿や古道具が埃をかぶって積まれていましたが、二階だけは石炭酸の匂いと、塗られたばかりのペンキの匂いが混ざり合って、まるで私立の施療院の一室のようでした。
私は日曜日になると、叔母に頼まれて、よく見舞いに行かされたものです。敏彦さんは利発な人でしたが、一日中寝台の上で本を読んでいるばかりで、とにかく退屈しきっていました。外では活動写真だの、浅草のオペラだの、世間がいくら浮き立っていても、彼の手の届く世界は、蔵の窓から見える運河の濁った水面と、荷船を行き交わせる船頭の掛け声だけでしたから。
その年の秋口だったと思います。敏彦さんが休学する直前、春に行った日光への修学旅行の写真が、学校からようやく手元に届いたのは。台紙に貼られた大判のゼラチンシルバープリントです。華厳の滝を背にして、生徒たちが四列に並んでいる。敏彦さんは前列の端の方で、少し顎を引いて、薄笑いを浮かべて写っていました。
「つまらないな」と、敏彦さんは寝台の上で写真を指先で弾きながら言いました。「行かなきゃよかったよ。日光の杉並木を歩かされて、息が切れて倒れそうになっただけだ。写真を見ても、誰が誰だか思い出しもせん」
私は寝台の脇の丸椅子に腰掛けて、湯呑みの茶をすすりながら、写っている生徒の顔を眺めていました。敏彦さんの同級生ですから、私も何人かは顔を知っています。近所の小間物屋の倅や、剣道部で鳴らした大柄な男。けれど、三十二、三人もの生徒が同じ制服を着て並んでいると、どうしても見覚えのない顔が混ざっているように思えるものです。
「ほら、ここ」敏彦さんが細い指で、二列目の真ん中あたりを指しました。「この、首を少し左にかしげている奴。誰だか分かるか」
覗き込んでみましたが、尖った顎と細い目が印象的な、どこか影の薄い少年でした。名札の文字は小さくて潰れており、読めません。
「さあ、見覚えがありませんね。別の組の生徒じゃないですか」
「いや、これは俺たちの組だ。だが、こんな奴は教室にいなかったよ」敏彦さんは悪戯っぽく笑いました。「名前も知らないし、声も聞いたことがない。きっと、滝の霧から抜け出してきた幽霊だな」
冗談でした。最初はただの、退屈な病人の思いつきだったんです。
蔵の窓の外で、運河の波が杭を打つ音がする。ぽとん、ぽとんと、規則正しい水音が梁に反響する。枕元の小机には、体温計と、氷嚢と、半分までインクの減った萬年筆が置かれている。
次の週に見舞いへ行ったとき、敏彦さんは妙に昂奮していました。熱が高かったわけではありません。寝台の上に修学旅行の写真を置き、その横に古めかしい帳面を広げていたんです。
「おい、あいつの名前が分かったぞ」敏彦さんは言いました。「佐伯清二というんだ」
「先生に聞いたんですか」と私が尋ねると、彼は首を横に振りました。
「違うよ。俺が決めたんだ。あいつは神田の紺屋町に住んでいて、実家は染物屋だ。三人兄弟の末っ子で、無口で、図画の時間はいつも木炭で靴の絵ばかり描いている。修学旅行の晩は、旅館の押し入れで一人で寝ていた」
敏彦さんは楽しそうに、その『佐伯清二』なる少年の身元を語り続けました。性格、癖、通学の経路、好きだった浅草の煎餅の種類まで。あまりに細部が整っているので、私は感心してしまいました。病室の孤独が、敏彦さんに小説家のような緻密な想像力を与えたのだろうと思ったのです。
だが、敏彦さんの遊びはそれだけでは終わりませんでした。
「佐伯をな、本当にここに居たことにするんだ」敏彦さんは机の引き出しから、古道具の山から見つけてきたという、朱塗りの小さな印箱を取り出しました。「手続きが必要なんだよ。世の中の物事はすべて、台帳と記録で成り立っている。役所も学校も、書類に判が押され、順序よく綴じられていれば、それが本当のことになる」
敏彦さんが定めた『手続き』は、奇妙なものでした。
まず、毎晩八時、母屋の柱時計が八つ鳴るのに合わせて、蔵の窓を細く開ける。そして、修学旅行の写真の裏面、生徒の氏名が並んでいる余白に、萬年筆で『佐伯清二』と小さく書き入れる。書いたらすぐに消しゴムで擦り、紙の繊維が毛羽立つ程度に跡を残す。それから、寝台の足元に置いた真鍮の洗面器に水を張り、そこに写真の角を一瞬だけ浸す。乾かす間に、佐伯が学校で使っていたはずの教科書や鉛筆の銘柄を、帳面に三行だけ書き留める。それを七日間、一日も欠かさず繰り返すのだと言いました。
「そんなことをして、どうなるんです」
「どうもならんよ。だが、嘘を本物にするには、相応の重みをかけてやらなきゃいけない。仏壇の線香と同じだ。毎日同じ時刻に同じ煙を立てるから、死んだ人間がそこにいることになる」
敏彦さんは蒼白い顔で、喉をぜいぜい鳴らしながら笑いました。私は気味が悪くなりましたが、病人の気晴らしを頭から否定するのも気の毒で、「あまり夜更かしをして熱を出さないでくださいよ」とだけ言って蔵を出ました。
土蔵の引き戸は分厚く、内側から閂を落とすと、外の気配がすっかり遮断された。壁の漆喰はところどころ浮き上がり、指で押すと微かにかすれるような乾いた音を立てた。夜になると、どこからともなく紙の焼けるような匂いが漂った。
それから半月ほど経った十一月の初旬、私は敏彦さんの学校の同級生だった男――小間物屋の倅の竹内という男に、本所の通りでばったり会ったんです。彼は自転車を押して、配達の帰りでした。
立ち話のついでに、私は何気なく聞いてみたんです。敏彦さんが変な作り話ばかりして困る、修学旅行の写真に知らない奴が写っていると言い張って、佐伯清二なんていう出鱈目な名前までつけて遊んでいる、と。
笑い話のつもりでした。ところが、竹内は怪訝そうに眉をひそめたんです。
「出鱈目って、お前、何言ってるんだ」
「え?」
「佐伯は佐伯だろう。二組の佐伯清二。あいつ、日光から帰ってすぐ、夏休み前に親の都合で大阪へ引っ越したじゃないか」
私は足の裏から冷水が上がってくるような感覚を覚えました。
「嘘でしょう。そんな生徒、本当にいたんですか」
「いたも何も、俺は一年のとき席が隣だったんだぞ。無口な奴で、いつも図画の時間に靴の絵ばかり描いていた。実家は神田の紺屋町の染物屋だ。敏彦の奴、休学してるからって、そんな当たり前のことまでお前に自慢してるのか」
竹内は呆れたように笑い、自転車のペダルを踏んで去っていきました。私はしばらくの間、秋晴れの舗道に立ち尽くしていました。染物屋、靴の絵、紺屋町。すべて敏彦さんが蔵の寝台の上で、退屈まぎれに口にした設定そのままでした。
私はその足で、四ツ目の材木問屋へ走りました。母屋の番頭に挨拶もそこそこに、渡り廊下を駆け抜け、蔵の重い扉を押し開けて二階へ駆け上がりました。
敏彦さんは寝台の上で毛布に包まり、蜜柑を剥いていました。
「敏彦さん、佐伯清二って男、本当にいたのか」
息を切らして問い詰める私を、敏彦さんは静かな目で見つめました。その目はちっとも驚いていませんでした。
「ああ、やっぱりそうか」敏彦さんは呟くように言いました。「辻褄が合ったんだな」
「何がです」
「俺が作った佐伯と、世の中の記憶が合致したんだよ。昨日の晩な、手続きの最後をやったんだ。洗面器の水に写真を浸して、帳面に最後の行を書いた。『佐伯清二は大阪へ去った』とな」
「ふざけないでください! 最初から知っていたんでしょう。本当は知っていた同級生の名前を使って、私を担いだんだ」
そう叫んだ私に、敏彦さんは枕元の引き出しから、一冊の古い生徒名簿を取り出して見せました。休学するときに学校から配られた、四年の全生徒の名簿です。印刷された活字が並ぶ頁を、彼がめくりました。
「見ろよ」
指さされた箇所を見て、私は息を呑みました。
活字の並びの中に、『佐伯清二』という名がありました。しかし、そこだけ活字の線が妙に新しく、前後の文字よりもわずかにインクの色が濃いのです。それだけではありません。佐伯の名の上に印刷されているはずの頁番号の数字が、そこだけ少し右へ押し出され、不自然な余白が生まれていました。
まるで、最初からそこに余白などなかった場所に、文字の群れが無理やり身を縮めて、一人分の隙間を空けたかのように。
「俺は知らなかったんだ」敏彦さんは静かに言いました。「本当に、何もかも俺が適当に思いついたことだったんだよ。だがな、あの写真の顔を見ていたら、どうしてもその名前と境遇でなければ収まりがつかないような気がしたんだ。だから、毎晩手続きをした。この蔵の空気を使ってな。ここは母屋から離れているだろう。帳簿や証文が何十年も眠っている場所だ。ここには『記録が現実を縛る力』が溜まっているんだよ」
日光の写真は、硝子窓からの光を受けて白く反射していた。二列目の中央、首をかしげた少年の輪郭だけが、周囲の生徒たちよりもわずかにくっきりと、黒々とした陰影を帯びていた。
「もう止めましょう」私は怯えていました。「こんな気味の悪い遊び、すぐにやめてください。写真を破いてしまいましょう」
「破く?」敏彦さんは冷たく笑いました。「破いたらどうなると思う。あいつの存在が消えるんじゃないぞ。あいつが最初から『いなかったこと』にするために、あいつのいた空間にいた別の誰かが、辻褄を合わせるために消えるかもしれない。それとも、あいつを知っている竹内や俺の頭がおかしくなるかだ」
それから数日後、敏彦さんの病状が急に悪化しました。喀血したのです。本所の蔵ではこれ以上の療養は無理だということになり、叔父たちは彼を湘南の茅ヶ崎にあるサナトリウムへ移すことを決めました。
引っ越しの前日、私は蔵の片付けを手伝いました。敏彦さんはすでに車で茅ヶ崎へ運ばれた後で、薄暗い二階には、運び出されるのを待つ柳行李や布団が積まれていました。
私は机の上に置き去りにされていた、あの修学旅行の写真を手に取りました。
裏を返すと、鉛筆で書かれた生徒たちの名前の末尾に、何度も書かれては消された『佐伯清二』の筆跡が、紙を削るような深い溝となって残っていました。そして表側の、あの二列目の少年。
私は息を止めました。
少年の胸元、以前は小さく潰れて読めなかった名札の文字が、はっきりと読めたのです。虫眼鏡など使わなくても、肉眼で明瞭に読めました。
そこには、墨のような黒い文字で、『佐伯』と書かれていました。
しかし、私が恐ろしいと思ったのは、その文字ではありませんでした。写真の中の佐伯の顔です。竹内は「無口な奴で、一年のときに隣の席だった」と言いました。敏彦さんは「紺屋町の染物屋の息子」という設定を与えました。
ですが、その写真に写っている少年の顔は、どこからどう見ても、敏彦さんの顔立ちに酷似していたのです。まるで、敏彦さんがもう一人、詰襟を着てそこに立っているかのように。ただ、敏彦さんよりも少し痩せて、顎が尖り、首を左にかしげているだけで。
茅ヶ崎の療養所は松林の中にあり、年中、潮騒の音が聞こえていた。白いペンキの塗られた木造平屋の病棟が、砂地に並んでいた。電灯の笠に、小さな蛾がいくつも群がっていた。
敏彦さんは、療養所に入ってから半年足らずで亡くなりました。大正十三年の夏の終わりです。
葬儀の後、私は叔母に、敏彦さんが茅ヶ崎で書いていたという日誌を見せてもらいました。几帳面な文字で、毎日の体温や服薬の記録が並んでいました。そして、亡くなる三日前、乱れた筆跡で、こう書かれていました。
『佐伯清二から手紙が届いた。大阪の空気は煤煙が多くて胸に悪いと書いてある。あいつも同じ病気になったらしい。あいつは俺に礼を言っている。名前をくれてありがとう、と言っている。俺の代わりに、あいつが学校へ行っていたような気がする』
叔母に「佐伯というお友達からお手紙が届いたのですか」と尋ねると、叔母は怪訝な顔をしました。
「いいえ、そんな手紙は届いていませんよ。ただ、敏彦が亡くなる前日の夕方、面会時間も過ぎてから、詰襟を着た若い生徒さんが一人、受付に見舞いに見えたそうです。敏彦の学校の制服を着ていたそうですが、お名前も名乗らずに、ただ『佐伯がよろしくと言っていたとお伝えください』とだけ言って、松林の方へ歩いていかれたとか。お友達でしょうけれど、どなただったのかしらねえ」
私は何も言えませんでした。
それからもう、何年も経ちました。震災があって、本所の材木問屋もあの文庫蔵も、すっかり燃えてなくなってしまいました。写真も、名簿も、敏彦さんの日誌も、おそらく灰になったはずです。
ですがね、私は今でも、時々恐ろしくなるんですよ。
……あの修学旅行の写真は、本当に三十数人だったんでしょうか。敏彦さんが佐伯という名前をでっち上げる前、あの二列目の真ん中には、最初から誰かが写っていたのか。それとも、誰もいなかった空間に、ただの背景の木の幹や光の加減でできた染みを、敏彦さんが人間の顔だと見間違えただけだったのか。
もし、最初から誰もいなかったのだとしたら。
敏彦さんが名前を与え、実家を与え、日誌に嘘を書き、手続きを踏んだことで、世界の側が慌てて辻褄を合わせたんじゃないでしょうか。名簿に活字を割り込ませ、竹内の記憶を書き換え、大阪という行き先を用意し、最後には制服を着た人間を一人、茅ヶ崎の松林に歩かせるまでに。
店の外で、市電の警笛が遠く鳴っている。向かいの席のあなたの徳利が、ことりと小さな音を立てる。卓の上の醤油差しには、半分ほど黒い液体が残っている。
何ひとつ解決していないんです。佐伯清二が実在したのか、それとも敏彦さんの妄想が生み出した怪異だったのか、確かめる術はもうありません。当時の同級生たちも、震災で散り散りになってしまいましたから。
ただね、最近、電車に乗ったり、百貨店の食堂で大勢の人が食事をしているのを見たりすると、ふと考えてしまうんです。
向かいの席で珈琲を飲んでいるあの紳士や、帳場で算盤を弾いているあの番頭は、本当に昔からこの世にいたんだろうか、と。
誰かがどこかの薄暗い部屋で、退屈まぎれにノートの切れ端に書きつけた出鱈目な名前や生い立ちに合わせて、世の中のほうが後から帳尻を合わせた結果として、今あそこに座らされているだけなんじゃないか。
そして私自身も――私のこの名前や、神田の家や、あなたとこうして呑んでいる記憶さえも、誰かが遠い蔵の中で洗面器の水に浸した、でっち上げの紙切れの辻褄合わせに過ぎないんじゃないか、とね。
……おや、お酒が冷めてしまいましたね。もう一本、ぬる燗で頼みましょうか。