六月分小払帳

明治四十一年六月、郡役所書記の篠田は、停車場予定地の会計を改めに来た。丘を削った赤土の平場に、枕木だけが雨を吸って並び、電信柱は開通前の線路を町の方へ延びていた。
請負人が差し出した領収書の綴りには、筵四十枚、石灰二俵、握飯百二十個とある。どれも造成には要る品だが、老人は「崩れの晩は足りなんだ」と言った。
六月十二日、試運転の汽車が盛土ごと沈み、徴兵検査へ向かう若者らが埋まったという。茶店の女も荷車引きも、汽笛が土の下で長く鳴ったと覚えていた。
しかし線路は未開通で、機関車を入れた記録もない。戸籍簿にも徴兵簿にも欠けた名はなく、鉄道掛からの電報は「事故ノ事実ナシ」と結んでいた。
二度目、篠田は領収書を一枚ずつ村人に示した。筵は遺体を包み、石灰は臭いを抑え、握飯は掘り手に配ったものだと、皆が同じように答えた。請負人は末尾の受取印を指した。
「旦那も、ここで数えたでしょう」
印は篠田のものではない。それでも、濡れた筵の重さだけは手が覚えている気がした。
三度目、丘には細雨が降っていた。篠田が綴りを開くと、平場の水溜まりから雨粒が離れ、灰色の空へ昇り始めた。
土の下の汽笛を、彼は昔から知っていた。
篠田は帳面を落とし、開通前の線路を町まで走って逃げた。
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