集積所の重さについて

【連載・潮のひいた町で 第3部・仮の恒久(4)】 (『奥羽毎夕新聞』平成二十六年七月十二日付朝刊・社会面)
県沿岸南部に位置する宮古間(みやま)市大久保地区。震災から三年が経過し、高台の造成地に建てられた市営大久保復興住宅(鉄筋コンクリート造五階建て、全七十二戸)では、仮設住宅からの転居がほぼ完了した。真新しい白壁とアスファルトの匂いが残る敷地には、かつて網元や水産加工場がひしめいていた海沿いの集落から、住み慣れた土地を離れた高齢者が多く暮らしている。
新たな共同体を維持するため、住民自治会が最初に定めた細則の一つが「ゴミ集積所の輪番管理」だった。敷地東側の角、真新しい緑色のカラス除けネットが張られたコンクリート土間に、毎週火曜と金曜の朝、指定袋が集まる。入居開始と同時に配られたプラスチック製の当番表には、各棟各室の氏名が印刷され、当番を終えた世帯が次の部屋の玄関ポストへ投函する仕組みとなっていた。
「最初は本当に些細な、当番の手順をめぐる戸惑いだったと思います」
そう語るのは、同住宅自治会長の佐伯清吉さん(68)である。佐伯さんによれば、入居から半年が過ぎた平成二十五年秋ごろから、集積所の清掃について棟内掲示板への投書が目立ち始めた。カラスによる散乱ではない。指定の半透明ポリ袋の内部に、生活ゴミとは明らかに異なる「異物」が混入しているという指摘だった。
当時の自治会だより(二十五年十月十五日発行)には、次のような注意喚起が残されている。
《可燃ゴミ収集日の注意事項について。生ゴミ等に混じり、砂利、泥土、海藻状の有機物、魚介類の殻のような硬質物が袋の底に沈んでいる事例が報告されています。これらは市の収集規定における「一般廃棄物」に該当しない可能性があります。各戸におかれましては分別を徹底してください》
だが、問題は分別違反に留まらなかった。当番を務めた住民の間から、「ネットを引き上げたときの重さが日によって異常に違う」「袋の中に、骨のような手応えのある塊が沈んでいる」といった声が上がった。さらに、当番表の移動が特定の階段で停滞する事態が相次いだ。
同年十一月下旬、103号室に一人で暮らしていた元漁具店主・荒井定男さん(当時71)が、自室の居間で倒れているのが見つかった。死因は急性心不全。発見時、部屋のこたつ机の上には、次に回すはずだった当番表と、マジックペンで走り書きされた一枚のメモが残されていた。
《喉の奥が重い。吐き出せない。庭の土ではない》
荒井さんの遺品整理を担当した親族によれば、室内は整然と片付いており、荒らされた形跡や異常な物品は何もなかったという。ただ、台所の流し台の排水口と、風呂場の目皿の隙間に、粘り気のある灰色の泥が少量付着していた。市水道局の調査では、配管や給水設備に逆流などの異常は一切認められなかった。
荒井さんの死後、当番表は一時的に自治会預かりとなったが、共同生活の維持のため、翌月には再び各戸への巡回が再開された。何事もなかったかのように運用は戻ったが、住民たちの間に漂う奇妙な沈黙は、今も完全に消えたわけではない。
住宅の敷地を出ると、嵩上げ工事のダンプカーが土煙を上げて通り過ぎていく。佐伯会長は、空になった集積所のネットを丁寧に畳みながら、独り言のように言った。
「みんな、海から逃げてここに来たんです。でも、何を持ってきたのかは、誰にも分からないんですよ」
【連載・潮のひいた町で 取材班メモ(未掲載記録・平成二十六年八月)】 (取材担当:社会部記者・門脇達也)
七月十二日掲載の第四回記事に対し、大久保復興住宅の元住民および市環境資源課の職員から、紙面では言及しなかった事実についての照会が複数寄せられた。記事の執筆時、紙幅と裏付けの制約から割愛せざるを得なかった関係者の証言を、事実関係の再検証としてここに記録する。
発端となった「ゴミ集積所の異変」について、清掃委託業者である「三陸クリーンサービス」の収集作業員・菅野氏(仮名・42)から得られた証言は、自治会側の認識と大きく異なっていた。
菅野氏によれば、大久保復興住宅の集積所で回収される可燃ゴミの総重量は、入居開始当初の月平均一・二トンから、半年後には三倍近い三・五トンへと急増していた。世帯数に変動はなく、住民の転出入もほとんどない時期である。増えた重量の大半は、各家庭から出される四十リットルの指定袋、その最下部に溜まった「内容不明の沈殿物」によるものだったという。
「袋を持ち上げると、底だけが鉛のように冷たくて重いんです。外側から見ると、新聞紙や野菜くずの隙間に、乾かない濡れ衣のような、あるいは水底のヘドロを布で包んだような塊が沈んでいる。パッカー車の回転板に巻き込むとき、バリバリともグシャリともつかない、肉と貝殻が同時に潰れるような異音が毎回しました」
市に苦情を申し立てる住民たち自身の身体にも、共通した異変が現れていた。取材班が接触した同住宅の住民六名(五十代〜七十代)は、いずれも「身体の中に硬いものが増えている」という感覚を訴えていた。
204号室の主婦(62)は、左の肋骨の内側、ちょうど胃の裏あたりをさすりながら、次のように語った。
「痛みはないんです。ただ、そこに何かがある。水を含んだ軽石のようなものが、少しずつ育っている感じがする。朝起きると、舌の裏に砂利を舐めたあとのような渋みが残っていて、うがいをしても取れない。それが、当番の前の週になると特に重くなるんです」
401号室の元船大工(75)は、咳き込むたびに洗面器へ吐き出されるものを、写真に記録していた。スマートフォンで見せられた画像には、透明な唾液の中に、一センチ四方ほどの、薄い灰褐色の薄片が何枚も浮いていた。乾燥した魚の鱗にも見えるが、光に透かすと微細な脈管のような網目模様が通っている。
「病院へ行っても『加齢による逆流性食道炎』としか言われない。胃カメラを入れても何も映らないそうだ。先生は『気のせいだ、震災のストレスだ』と言う。でも、自分だけじゃない。階段ですれ違う連中がみんな、喉を触りながら歩いているんだ。みんな、喉の奥に同じ重さを飼っている」
彼らはそれを他人に詳しく話そうとはしなかった。狭い復興住宅の中で「不気味な病気にかかっている」という噂が立てば、コミュニティの中で孤立するからだ。誰もが口を噤み、朝になると洗面所で喉を鳴らして何かを吐き出し、それを生ゴミの袋の底に新聞紙で何重にも包んで沈め、当番表に判を押して隣の郵便受けに入れた。
急死した荒井定男さんのケースは、その排出が追いつかなくなった結果だったと見られる。
荒井さんの検案を担当した地元医師(現在は閉院)の非公式な証言によれば、遺体の胸腔内は、死後硬直とは異なる異常な硬直を示していたという。解剖は行われず、病死として処理されたが、医師は取材に対し小声でこう漏らした。
「肺と縦隔のあいだに、びっしりと詰まっていた。腫瘍ではない。まるで、何千個もの小さな巻貝が、濡れた膜でびっしりと癒着してひとつの臓器になっているような……あんなものは医学書で見たことがない。だが、遺族の手前、変死として警察に回すわけにもいかなかった。津波で身内を亡くして、ようやく手に入れた復興住宅の部屋なんだ。これ以上、遺族を怯えさせたくなかった」
医師の証言を裏付ける客観的な物証はない。荒井さんの遺体は翌日、市の斎場で荼毘に付された。骨上げの際、骨壺に収まりきらないほどの灰白色の燃え残りが生じたが、火葬場の職員は「高齢者によくあるカルシウムの沈着物」として通常どおり処分した。
現在、大久保復興住宅では、ゴミの重量異常は報告されていない。
市の清掃局に確認したところ、同住宅の可燃ゴミ排出量は、平成二十六年春ごろを境に急速に減少し、現在は当初の月平均一・二トンをさらに下回る八百キロ前後で安定しているという。住民の身体の違和感についての訴えも、自治会の役員改選とともに立ち消えとなった。
取材の最後に、前出の主婦(62)を再訪した。玄関先で応対した彼女は、以前会ったときよりも明らかに痩せていたが、表情は穏やかだった。喉の違和感について尋ねると、彼女はきょとんとした顔で首を傾げた。
「そんなこと言いましたっけ。もうすっかり忘れちゃいました。ほら、ここ、風通しがいいでしょう。潮風がここまで上がってこないのが、最初は寂しかったけど、今は慣れました」
彼女の首元には、鎖骨の上の窪みに、鶏卵ほどの大きさの不自然な膨らみがあった。皮膚を押し上げるそれは、呼吸に合わせて微かに、まるでエラが動くように上下していたが、主婦自身はその部分に一度も手をやろうとしなかった。本人がそれを異常として認識していないことは明白だった。
玄関の脇には、プラスチックのホルダーに入ったラミネート加工の「ゴミ収集当番表」が掛けられていた。表の余白には、黒い油性マジックで、消えかかった文字が小さく残っていた。
《次の方へ。ネットの裾は石で押さえてください。重いものは、下に置けば沈みます》
大久保復興住宅の前の道路では、今日も復旧工事の大型車両が何台も砂煙を上げて行き交っている。集積所の前には、綺麗に洗浄されたゴミバケツが伏せて置かれ、その上を乾いた内陸の風が音もなく吹き抜けていた。