洗わず包んでください

以下は、昭和五十八年六月に深夜放送番組へ送られ、放送されなかったカセットテープの書き起こしである。語りの重複を整理し、レシートと新聞の日付に基づいて順序を再構成した。
【昭和五十六年九月十二日 午後五時四十二分】
そのころ、私は妻と六歳の娘と、駅裏の二DKに住んでいました。娘が翌春に小学校へ上がるので、そろそろ家を買おうという話になっていたんです。
見に行ったのが若葉台でした。田圃を埋めてできた新しい町で、駅前には歩道橋、スーパー、赤い屋根のファミリーレストランがありました。少し離れると同じ形の家が並び、どの庭にも若い木が一本ずつ植えてある。まだ土の匂いがする町でした。
仲介業者は、今決めれば角地を押さえられると言いました。妻は台所を気に入り、娘は二階の小部屋を自分の部屋にすると決めていました。
私は手付金を持っていませんでした。翌朝もう一度来ると約束して、妻子を先に電車へ乗せました。
【午後六時五十五分】
駅前で会社へ電話を入れ、それから大衆酒場に入りました。店の名は「まつ葉」。焼鳥と煮込みが看板で、勤め帰りの男たちが六、七人いました。
私は燗酒を一本と、鯵の開きを頼みました。カウンターの端では、店主がラジオの野球中継を聞いていました。雨の予報は出ていませんでした。昼から雲ひとつなく、夜も蒸してはいましたが、月が見えていました。
酒を飲みながら、買うならカセットデッキはしばらく我慢だな、と考えていました。娘が深夜放送を録りたがっていて、誕生日に買う約束をしていたんです。
【午後七時十八分】
便所は店の奥にありました。小便器はなく、和式便器が一つだけの個室でした。薄緑のタイル張りで、裸の蛍光灯が低い音を立てていました。
水槽の脇に、新聞の切り抜きが貼ってありました。広告欄の、ほんの三行です。
〈八月三十一日、若葉台で濡れた衣類 洗わず新聞紙に包んでお持ちください 料金不要 青葉クリーニング取次所〉
日付を限定した無料サービスだと思いました。祭りで水でもかけられたのか、給水管が破裂したのか。けれど、八月三十一日は晴れだったはずです。その日は娘を市民プールへ連れていき、日焼けして帰ったので覚えていました。
広告は便所の壁には不似合いなくらい、きれいに四隅を糊で留めてありました。
【午後七時二十六分】
用を済ませても、なぜか広告が気になりました。右下が少し浮いていたので指をかけると、下から別の新聞が出てきました。
同じ大きさの三行広告でした。
〈六月十九日、若葉台三丁目で濡れた衣類 洗わず紙に包み、集会所裏手まで お名前は伺いません〉
さらにその下にも紙がありました。日付は前年の十一月二日。店名も持参先も違いましたが、「濡れた衣類」「洗わず包む」という二つの文句は同じでした。
外で椅子の脚が鳴りました。誰かが便所を待っているのかと思い、戸を開けました。
店主が立っていました。
私の肩越しに壁を見て、「剥がしましたか」と言いました。怒った口調ではありません。病院の待合室で、順番を確かめるような声でした。
【午後七時三十三分】
私が、変わった広告ですね、と言うと、カウンターの客たちまで黙りました。ラジオだけが鳴っていました。
一人が腕時計を見ました。別の一人は、飲みかけのビールを床へ下ろしました。奥の座敷にいた二人も出てきました。
店主は切り抜きの端を指で押さえ直し、「外の方でしたか」と聞きました。
家を見に来たと答えると、客の一人が小さく舌打ちしました。私に向けたものではなく、間に合わなかったときの音に聞こえました。
店主は流し台の下から金属のバケツを出し、便所の中へ置きました。便器のそばではなく、部屋の真ん中です。
誰も理由を説明しませんでした。
【午後七時三十九分】
蛍光灯が一度だけ暗くなりました。
その直後、便所の中で雨の匂いがしました。夏の夕立が土へ落ちたときの、埃っぽい匂いです。
天井からではありませんでした。
天井と蛍光灯の間には二十センチほど隙間がありました。その隙間の、何もないところから細い水滴が現れ、真っすぐ床へ落ち始めました。最初は十粒ほどでしたが、すぐに便所全体へ広がりました。
天井の板は乾いていました。電灯のコードも、壁の上部も濡れていません。水は空中の同じ高さから生まれているように見えました。
戸口にいた私は肩から下を濡らしました。店主は私を引き寄せ、戸を閉めました。薄い戸の向こうで、タイルとバケツに水が当たる音が続きました。
店の客は誰も驚きませんでした。
一人が、「今月は一丁目だと思ってた」と言いました。
別の一人が、「旧い用水はここで曲がってたから」と答えました。
店主が二人を睨むと、それきりになりました。
【午後八時四分】
音は十五分ほどで止みました。
店主が戸を開けると、床には浅く水がたまっていました。ところが壁の新聞は濡れていませんでした。便器の上の紙巻きも乾いたままでした。
私のズボンと上着だけが重く濡れていました。バケツには半分ほど水がたまり、表面に蛍光灯が揺れていました。
店主は古新聞を差し出し、服を脱いで包むよう言いました。私は下着姿で店を出るわけにもいかず断りました。
すると客の一人が、自分の作業服を貸すと言いました。別の客は、濡れたものはここへ置いていけと言いました。全員が親切でした。その親切が、前から相談してあったように同じ形をしていました。
なぜ洗ってはいけないのか尋ねました。
店主はしばらく私を見てから、「洗えば普通の水になります」と言いました。
普通の水になって何が困るのか。それには答えませんでした。
【九月十三日 午前八時十分】
私は駅前のファミリーレストランで朝まで過ごしました。酒場から借りた作業服のまま、窓際の席でコーヒーを何杯も飲みました。
午前六時を過ぎると、若葉台の人たちが新聞を持って入ってきました。客も給仕係も、私の服装を見ても何も言いませんでした。
向かいの席の夫婦が広告欄を開き、二人で一か所を指しました。夫が鉛筆で丸をつけ、新聞を畳みました。
夫婦が帰ったあと、その新聞が椅子に残っていました。
三行広告が載っていました。
〈九月十二日、若葉台で濡れた衣類 洗わず新聞紙に包んでお持ちください 本日正午まで 青葉クリーニング取次所〉
店名は昨夜、便所で見たものと同じでした。
【午前十時三十分】
妻と娘を駅で迎え、仲介業者の車で昨日の家へ戻りました。
私は台所の天井を見ました。押入れも、浴室の換気口も見ました。染みはありませんでした。
仲介業者は笑って、「建物には出ませんよ」と言いました。
私が聞き返すと、すぐに「雨漏りは、という意味です」と言い直しました。
妻は聞いていませんでした。娘と庭の木に水をやっていました。隣家の主婦が塀越しに挨拶をし、私の借り物の作業服を見てから、目を伏せました。
あの町では、誰もが知っていたのだと思います。どの家で起きたか、次はどの丁目か、濡れたものをどこへ持っていくか。家を売った人も、買った人も、酒場の客も、新聞広告を受け付ける人も。
同じことを、家の外では三行より長く話さない。それだけが町内の決まりのようでした。
私は妻に、通勤が遠すぎると言って契約を断りました。
【昭和五十八年六月四日 午前零時四十七分】
あれから二年近くたちました。妻は今でも若葉台の家を惜しがります。娘は約束したカセットデッキで、毎晩、深夜放送を録っています。この話も、その空いたテープに私が吹き込みました。
先週、新聞に若葉台五丁目の分譲広告が出ました。駅徒歩十二分、全戸南向き。町はさらに西へ広がっているそうです。
その下に、小さな三行広告がありました。
日付は書かれていませんでした。店名もありません。
〈濡れた衣類をお持ちの方 洗わず包んでください 町内の者が伺います〉
住所も電話番号もないのに、広告は翌日から載らなくなりました。