欄外の数字

あんた、役場の書庫からそれを見つけてきたのかい。
昭和三十四年の、新峠隧道の夜間巡回日誌だ。表紙の油紙がまだ煤けているだろう。炭鉱が下火になって、団地が建ち始め、若い衆が集団就職で東京へ出ていった頃だ。儂と親父で交代しながら、あの掘りたてのトンネルを見回っていたんだよ。
気になったのは、その備考欄だろう。
深夜、峠を越えて駅へ向かう若者の頭数が書いてある。「男三、女二」とかな。だが決まってその横に、親父の癖のある字で小さく「+1」と朱筆が入っている。
親父はよく言っていたよ。あの峠の穴には、昔から「連れ影」という古い山返しの化け物が棲んでいて、峠を下りる人間の背中に紛れ込むんだと。
……まあ、昔の迷信さ。超常現象なんかあるわけがない。実際はな、カンテラの頼りない灯りがコンクリートの側壁に二重に影を落とした見間違いか、あるいは切符代も持たずに都会へ逃げようとした炭鉱夫の息子が、暗がりに紛れ込んでいただけなんだ。東京の受入先でも、人数の過不足など一件も報告されなかった。すべてただの錯覚と勘違いで説明がつく。
そう思っていたんだよ。
去年、古い炭鉱住宅の跡地を整理したとき、役場が当時の戸籍と転出記録を突き合わせるまではな。
妙なことが分かった。昭和三十年代の五年間で、あのトンネルを抜けて転出していった記録の総数が、親たちの残した戸籍の子供の数より、正確にあの日誌の「+1」の数だけ多かったんだ。
おかしいだろう。町じゅうのどの家も、東京へ送り出したはずの子供を、一人ずつ綺麗に忘れているんだ。誰も「もう一人いた」と言わない。町全体が同じ記憶の抜け落ちを抱えていた。役所の若いのは、昔は炭鉱事故や流行り病が多くて、戸籍の届出が杜撰だった時代の統計誤差ですよと笑った。それも筋が通る。帳簿のミスと言われればそれまでだ。
だがな。先月、実家の仏壇の底から、当時の家族写真が出てきたんだ。
炭鉱住宅の前で撮った、親父と母親と儂の写真だ。
三人家族のはずなのに、親父の隣に、儂と同じ詰襟を着た見知らぬ男が、当たり前の顔をして並んで写っている。
その顔の上からな、親父の赤鉛筆で、日誌と同じ「+1」の文字が書き殴ってあったんだ。
儂には、兄も弟もいなかったはずなんだよ。町の誰も、あいつの名前を覚えていない。