ホラムゲン

水は低い方へ

古い量水器と検針票、その奥に沈む造船所

明治四十四年十月、波賀市水道掛の書記が、志倉造船所の給水設備を調べた折の聞き書きである。話したのは同所の配管方、岩瀬源七。書記は翌日、手控えをもとに清書したが、上申はせず、帳簿の間へ綴じたという。以下、問いを除き、源七の言葉だけを残す。

その票はまだ剝がさんでください。そうです、右から三枚目の、墨が滲んだやつです。九月二日の分でしょう。上の数字と下の数字、その差は二十七。水を二十七使ったという読み方で間違いはないんですが、ここでは昔から、差だけ見てはいけないんです。

旦那、足もとに気をつけて。昨夜の雨が船台の下へ溜まっております。こちらです。量水器は洗い場の裏にあります。今は煉瓦の枡へ納めて蓋まで掛けてありますが、初めは剝き出しで、冬になると藁を巻いたものでした。水道がここまで延びたのは三十五年の春です。それまでは井戸と海水で間に合わせていた。鉄道が岬を回って来た年で、電信柱も同じ道に立ちました。町の人は、これで東京と同じ時刻に暮らせる、水も同じ勘定で飲める、と申しておりました。

造船所の者は、そう喜びもしなかった。勘定されるものが増えたからです。朝夕の出入り、日当、鋲の本数、石炭の俵、鋼板の目方。戸籍謄本を持って来い、徴兵検査は済んだか、済んでいなければ生年月日を書け、と。字の書けない者には門番が訊きました。どこの村の誰の何男だ、とね。

それで困る者もいたんです。戸籍の村を出たきり戻れない者、他人の名で徴兵を済ませた者、親方に前借りを握られた者。そんな連中を、所では帳外と呼んでいました。職名ではありません。帳面の外というだけです。給金は親方へまとめて渡す。門札も一枚を二人で使う。怪我をすれば、表向きはその日、構内へ入っていなかったことになる。

今なら、そんな杜撰な、と旦那はお思いでしょう。けれど、人を数え始めたばかりの時分には、数えないやり方もまだ残っていたんです。村では顔を知っていても役所には名がない。役所に名があっても、ここでは別の名で呼ばれる。鉄道は人を運びましたが、着いた人数まで面倒を見てはくれませんでした。

量水器が来て、私が検針を任されました。月に三度、市の水道掛が見に来る。その間は私が朝の指針を読み、使用水量票へ書く。洗い場の柱に票を留めておけば、市の方が前の読みと照らす。ご覧の通り、紙は一枚ずつ糊で重ねました。だから下の票ほど古い。剝がすとき、端からゆっくり水を含ませるんです。力を入れると数字のところから破れる。

最初に妙だと思ったのは、三十六年六月の票でした。雨で仕事が半日休み、洗い場の栓も止めたのに、前日より十一進んでいた。漏れを探しましたよ。地面へ耳をつけ、管を順に叩いた。漏れていれば低いところが湿る。けれど、船台の下も鍛冶場の裏も乾いていた。

当時の主任は、帳外が夜に水を盗んだのだろうと言いました。寝泊まりを禁じられても、鋼板の陰に筵を敷いている者がいたからです。それで夜番を一人増やした。ところが、夜番のいた晩にも九つ進んだ。

その九という数字を、私は朝の点呼で聞きました。欠勤が九人いたというのではない。帳外の一人、皆が安治と呼んでいた男の名を、組頭が九度消したんです。

どういうことかと言いますと、初めに門番が、安治を見なかったかと訊いた。組頭は、そんな者は入れていないと答えた。昼に安治の兄だという男が電報を持って来て、所内にいるはずだと申した。組頭はまた、そんな者はいないと答えた。事務所でも、鍛冶場でも、飯場でも同じ問答がありました。九度です。私はたまたま水道管の修理で構内を回っていて、九度とも聞いた。

夕方、量水器を見ると九つ進んでいた。

水を使った量と同じ九かもしれません。使っていないというのも、私が見ていなかっただけかもしれない。そう思って、その日は票へそのまま書きました。安治は三日前から見えなくなっていましたが、帳面には初めからいなかった。

こちらへ。頭を下げてください。船腹の張り出しが低いんです。今、右に見えるのが第五船台です。新しい貨物船の竜骨が据わっていますが、昔はもっと幅が狭く、二隻を半ば重ねるように造っておりました。大きな船を急いで造れと海軍筋から催促がありましてね。電報が来るたび、工期が縮んだ。鋲は熱いうちに打て、人足は眠らせるな、と主任が怒鳴っていた。

三十六年六月の晩、船底の水槽区画で支柱が崩れました。船には水を入れる区画があります。沈まぬために分けてある、鋼板の箱のようなものです。まだ組立ての途中で、帳外の者が中へ入って、継ぎ目の錆を落としていた。

崩れた音は小さかった。鍛冶場では鋲打ちをしていたから、誰もすぐには気づかなかった。気づいたときには入口の板が歪み、開かなくなっていた。中に何人いたか、親方は十一人と言った。門札では六人でした。事務所の帳面では四人。点呼をすれば、入場した者は三人しかいなかった。

切り開けば助かった者がいたかもしれない。ですが、隔壁を外せば進水日に間に合わない。注文主の検査も迫っていた。事故を届ければ工事は止まる。主任は一晩待てと言った。夜のうちに帳面を合わせる、と。

私は水道管を止めさせられました。板を冷やす水も、洗い場の水もです。音が聞こえやすくなるからだと思った。違いました。中から叩いている回数を数えるためでした。

初めは乱れていました。しばらくすると、一つ叩いて間を置き、二つ叩いて間を置くようになった。名を呼ぶ代わりだったのか、まだ何人動けるか知らせたのか、それは分かりません。外では主任と組頭が紙へ棒を引いていた。五つ、四つ、また五つ。だんだん間が長くなった。

夜明け前、叩く音がやみました。そのあと主任は、歪んだ入口へ鋼板を当てさせました。工事を直したように見せて、周りを鋲で留めた。中を確かめた者はいません。十一人いたという親方も、翌月には鉄道で西へ行ったと聞きました。

その船は予定の日に進水しました。新聞には、工期を守った模範の造船所だと載った。見物人が万歳をして、町の学校も休みになった。中にいた者の家へは、逃げた、前借りを踏み倒した、別の土地へ流れた、と知らせたそうです。安治の兄には、同じ名の者と取り違えたのだろうと。戸籍の字まで調べに来た兄の方が、疑われました。

あの晩、水は一滴も流していません。元栓は私が閉め、鍵も持っていた。それでも朝には量水器が四十三進んでいました。

四十三人ではないんです。中にいたのは十一人か、それより少なかった。四十三は、朝までに誰かが、あの者たちは所内にいない、と言った回数です。主任が七度、組頭が十二度、門番が六度。私は二度。ほかは事務員や親方です。誰が何度言ったか、私は覚えています。覚えたくなくても、量水器の針を見たら足し算が合った。

旦那は、私まで言ったのかという顔をなさる。言いましたよ。市の者が漏水を疑って夜明けに来たとき、作業員は皆出た、中には誰も残っていない、と。二度訊かれたので、二度答えた。

その二度目に、量水器の蓋の下で、ち、と鳴りました。

それからです。水の量と、言った回数が混じり始めたのは。毎日ではありません。正直に人の名を呼んだ日には何も起きない。これは私の考えですがね。所在を訊かれ、知らぬと答える。入った者を入らなかったと直す。昨日いた者を初めからいなかったことにする。そういう日の夜、使った水とは別に指針が進む。

ただ、誰の言葉でも数えるわけではありません。冗談や間違いには動かない。主任が自分を守るために言ったときは進んだ。門番が本当に見ていなかったときは進まなかった。私には、その違いが分からない。量水器に分かるはずもないでしょう。水は人の腹を量りませんから。

古い票をご覧ください。墨の数字の右肩に、小さな針穴のような跡があるでしょう。私が刺したものではない。量水器が一度余分に進むたび、票に一つ跡がついた。柱に貼る前から開いていたこともあります。その日のうちに何度言うか、先に揃っていた。

ですから剝がすなと申し上げたんです。九月二日の票には二十七の穴がある。ところが数字の差は二十六です。今月に入ってから、先に穴が一つ多くなるようになった。

こちらの煉瓦枡を開けます。錆で重いですよ。手を挟まないよう、旦那はその灯りを持っていてください。ほら、中は乾いている。管は昨年、新しいものへ付け替えました。古い量水器は外して、両側を切ってあります。水道掛の帳面にも、これは廃器と書いてあるはずです。

それでも針が二十七を指している。

今朝は二十六でした。私と水道掛の若い方とで見ました。若い方は故障だと言い、私が古話で脅かすから数字を見違えるのだと笑いました。それから事務所へ戻って、あの船底の事故などなかった、源七爺の作り話だと主任へ報告した。一度だけです。

そのとき、ここまではっきり、ち、と聞こえました。

船はとうにありません。名は汐路丸といいました。北の航路で十年働き、外国へ売られ、その先で解体されたと電信で知らせが来た。鋼板も鋲も、もう別々でしょう。水槽区画を開けたという話はない。何かあれば先方から照会が来るはずだと主任は言いましたが、照会は来なかった。来なければ、中には何もなかったことになる。ここでは、ずっとそういう勘定です。

けれど旦那、船がなくなってからの方が、数字はよく進むんです。昔を知る者が減ったからでしょう。若い者へ訊けば、そんな事故は聞いていないと言う。事務所では記録がないと言う。市役所では届出がないと言う。船籍簿には異状なしとある。戸籍の村では、男たちは出稼ぎに行ったままという扱いです。

一人が一度消えたのではない。訊かれるたび、また消される。その回数を、あれが数えている。私はそう思っております。

人の方を数えているのか、言葉の方を数えているのかは知りません。あの晩、中から叩いた回数かもしれない。外で帳面を直した回数かもしれない。指針が一回りすると何が済むのか、それも分からない。量水器には桁が四つありますが、左端が一周したところを、私はまだ見たことがない。

水道掛では、この枡も明日埋めるそうですね。新しい管が正門の方へ通ったから、ここは要らないと。埋めるのは構いません。土の下でも針は回るでしょう。票だけは持って行かないでください。役所へ持って行けば、今度は役所の保管になる。保管すれば、ないとは言えなくなる。ないと言えなくなれば、何を数え始めるか分かりません。

いえ、脅しているのではありません。昔から、水は低い方へ行くと申します。数も同じです。低くされ、隠され、誰も覗かぬところへ集まる。

静かに。今、鳴りましたね。

旦那は何も言っていない。私も言っていない。船台の向こうで点呼をしていますが、今日は欠勤はいないはずです。

もう一度、鳴りました。

票を見せてください。穴が二つ増えている。数字はまだ二十七のままです。どうも、今度は針より先に票が数えている。

灯りを下へ向けないでください。枡の底に紙が落ちています。濡れていないのに、字が浮いてくる。これは今月の票ではない。市の印もない。人の名のようですが、私には読めません。十一行あるように見えるでしょう。けれど数え直すたび、一行ずつ増えるんです。

旦那、読み上げてはいけません。名を確かめるためでも、声にしてはいけない。いや、決まりがあるというのではない。ただ私は、あの晩から、人の名と数が同じものだとは思えなくなった。

枡の蓋を戻しましょう。手を貸してください。そう、ゆっくり。まだ音がしますが、管の中ではありません。船台の下でもない。もっと遠いところから、こちらへ順に来ています。

鋲打ちに似ているでしょう。

一つ。間を置いて、二つ。

鉄道の方でも鳴った。今度は電信柱の向こうです。町へ水道が延びた道を、逆に辿って来るように聞こえる。

帰りましょう、旦那。票は柱へ戻してください。上から糊を塗れば、穴は見えなくなります。見えなくはなりますが、減りはしません。

明日ここを埋める人足には、何も話さないでください。知らない者に、知らないと言わせたくないんです。

さあ、点呼が終わる前に門を出ましょう。門番が人数を合わせます。あれは一人ずつ数えると思われていますが、長く勤めると、そうではないと分かる。

出て行く者を数えているのではありません。

出て来なかった者を、今日も初めからいなかったことにするため、数えているんです。

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