ホラムゲン

第拾四号診察券

大正時代の薄暗い新聞社編集室。散乱する原稿と古い電話機

社内調査覚書 大正十四年十月十一日 編集局庶務部取扱

件名:編集局内拾得物(診察券)ならびに紙面組版の異状に関する聞き取り

一、校正係・広瀬清一郎(三十一)の供述

十月四日の夕刊校正中、市内商店街の広告ゲラに、見慣れない紙片が挟まっていた。角の擦り切れた厚紙で、表に「緑ヶ丘保養院 診察券 第拾四号」と印刷されていた。緑ヶ丘は、裏山にある結核の療養所である。

不審に思ったのは、患者氏名欄だ。手書きではなく、当社の見出し用活字と同じ五号明朝で、くっきりと「常盤新報社」と刷られていた。悪質な悪戯だと思い、引き出しに仕舞い込んだが、その日の夜からゲラの文字がおかしく見え始めた。

誤植ではない。「架設工事」の「架」の字が、どうしても「喀」に見える。「配給」が「肺吸」に読める。一度そう思うと、どの記事を読んでも、活字の偏や旁が病気の気配を帯びて迫ってくる。気づけば気づくほど、紙面全体が療養所のカルテのように思えてならなかった。

二、社会部記者・佐伯達彦(二十六)の供述

十月六日、広瀬が青い顔をして震えているので、件の診察券を見せてもらった。しかし広瀬の言っていることは出鱈目だ。「常盤新報社」などとは刷られていない。あそこには、誰の筆跡ともつかない乱暴な鉛筆書きで、ただ「広瀬清一郎」と書かれていた。

広瀬は先月から空咳をしていた。誰かがそれを気味悪がり、忠告のつもりで机に置いたのだろう。病を恐れるあまり、本人が文字を見誤っているだけだと笑い飛ばした。

だが、その夜に自分が執筆した原稿を読み返して、背筋が寒くなった。市会議員の収賄に関する記事のはずなのに、文中に「微熱」「衰弱」「隔離」といった言葉が、文意を損なわない形で不自然に紛れ込んでいた。推敲しても、削った端から別の病名が指先から滑り出る。まるで社屋そのものが熱を出しているように感じられた。

三、電話交換手・田島スミ(二十二)の供述

佐伯記者と広瀬さんは、保養院から苦情の電話が来ていると仰いますが、違います。交換台の記録に、外線からの着信はありません。

ベルが鳴ったのは、地下の文選場にある内線電話からです。受話器を取っても誰も名乗らず、ただ遠くで大勢の人が一斉に息を吸い込むような、湿ったシューという音が聞こえるだけでした。それも毎夕五時、夕刊の輪転機が回り始める時刻きっかりです。

あの診察券は、七日の朝に交換台の足元に落ちていました。氏名欄には何も書かれていません。真っ白でした。ただ、裏面の受診期日欄に、今後三か月間の夕刊発行日の日付が、青いゴム印で几帳面に押されていました。休刊日だけが、正確に飛ばされていました。

四、庶務主任・村井源三(四十八)の報告ならびに結論

十月八日、緑ヶ丘保養院に照会を行った。院長によれば、当該の診察券は十年以上前に廃棄された古い様式であり、現在「第拾四号」に該当する患者は存在しないとのことである。社内の誰かが廃品を拾い、悪戯に用いたと判断するのが妥当である。

広瀬係員については社医の診断を受けさせたところ、初期の肺浸潤が認められたため、同日付で休職および転地療養を命じた。佐伯記者ならびに田島交換手の一連の証言も、局内における結核感染への極度の恐怖が生み出した神経衰弱の一種とみなす。

問題の診察券は十月八日夕刻、当方立ち会いのもと、汽缶室の炉にて完全に焼却処分した。これに伴い、局内の動揺は鎮静化し、紙面の乱れも正常に復したと認める。

ただし、一点だけ説明のつかない事項が残されている。

十月九日の朝、地下文選場の活字棚を点検した際、「全快」「頑健」「無事」「平癒」「息災」など、健康や快復を意味する鉛活字ばかり六十数本が、文字の頭部を平らに削り落とされた状態で発見された。刃物で削った跡も、酸で腐食させた痕跡もない。まるで長年使い古された砥石のように、印面だけが滑らかに失われていた。犯人は特定できていない。

(付記) 本記録は局内秩序の回復を目的として作成された内部報告であり、記載された供述内容の医学的・科学的真実性を本社が保証するものではない。なお、本件に関する一切の外部への放言、および社内における類似の印刷物の探索・詮索を固く禁ずる。

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