ホラムゲン

照会番号なし

深夜の無人駅の待合室、自販機と端末の青白い光に照らされた板敷きの室内

【記録断章 2023-11-14 02:18:04】 端末ID: OG-04(荻生駅待合室設置) 対話セッション開始: 02:18:04 音声入力: [風切り音 / 判定不能] システム出力: こんばんは。次の始発列車は午前六時十二分発です。どちらまで行かれますか。 音声入力: ああ、いや、寒いから入っただけで。 システム出力: どちらまで行かれますか。 音声入力: だから、乗らないって。雨宿り。 システム出力: どちらまで行かれますか。 セッション切断: 02:19:41(利用者側離脱)

地方公共交通の利用実態把握および防犯・案内支援を目的として、県立大地域情報研究室が羽貝線荻生(おぎゅう)駅の待合室に設置した自立型AI対話端末「モビロク・タッチ」に関する調査記録である。

荻生駅は一九九〇年代初頭に無人化された木造平屋の小駅で、一日平均の乗降客数は二十人を下回る。周囲は耕作放棄地と杉林に囲まれ、国道からも百メートルほど引き込まれた位置にあるため、日没以降の往来はほとんど途絶える。待合室は改札のない吹きさらしの板敷きで、中央に長椅子が二脚、隅に飲料の自動販売機と、今回我々が設置した防塵・防滴仕様の端末ラックが置かれているのみである。

本端末は大型ディスプレイ、近接センサー、全指向性マイク、広角カメラを備え、利用者が近づくと画面が点灯して対話を促すよう設計されていた。大規模言語モデルを軽量化した地域特化型案内AIを搭載し、運行情報、周辺施設、緊急連絡先などを合成音声とテキストで案内する。クラウド経由での遠隔監視を行っていたが、十一月中旬より「特定の時間帯に同じ質問を延々と繰り返す」「利用者が立ち去るまで対話を終わらせない」といった異常挙動ログが散発的に確認され、現地確認とデータ回収を行うこととなった。

現地調査は十一月二十四日、筆者(特任助教・宮内)と大学院生の佐伯の二名で実施した。十一月下旬の現地はすでに冬の気配が濃く、午後四時を過ぎると待合室の中は自販機の蛍光灯と端末のディスプレイの白い光だけが頼りとなった。

【記録断章 2023-11-18 23:42:11】 端末ID: OG-04 対話セッション開始: 23:42:11 近接検知: 1名(待合室中央ベンチ付近に着席) システム出力: こんばんは。足元が暗いのでお気をつけください。お忘れ物はございませんか。 音声入力: ん? ないよ。 システム出力: お忘れ物はございませんか。 音声入力: ないってば。財布はあるし。 システム出力: お忘れ物はございませんか。 音声入力: なんだこれ、壊れてんのか。 システム出力: お忘れ物はございませんか。 音声入力: うるさいな。 [足音 / ドアの開閉音] システム出力: お忘れ物はございませんか。 システム出力: お忘れ物はございませんか。 セッションタイムアウト: 23:45:00

回収したローカルログを精査したところ、不可解な特徴が浮上した。

第一に、この「繰り返し」は全時間帯で発生しているわけではなく、午後十一時から午前三時までの深夜帯に集中していた。日中の通学客や高齢者の利用時には、通常の案内(「〇〇高校方面の電車は……」「病院前のバス停は……」)が極めて円滑に行われている。

第二に、自然言語処理のモデル自体にバグが生じている形跡がなかった点である。もしAPIのタイムアウトやトークン生成の不具合であれば、文面の破綻や意味不明な記号列の出力がログに残るはずだが、出力されているテキストは完全に整っており、音声合成のピッチや速度にも乱れがない。むしろ、システムが意図的に特定のセンテンスだけを選択し、相手が何と返答しようと、その返答をトリガーにして同一の問いを再帰的に生成しているように見えた。

佐伯は当初、プロンプトの注入(悪意あるユーザーが画面やマイクから特殊な指示を与えてAIの挙動を書き換える行為)を疑った。だが、外部からの入力ログを見ても、そうした細工を施した形跡は見当たらない。ただ利用者が困惑し、苛立ち、最終的に待合室から逃げ出すように立ち去る様子が記録されているだけだった。

さらに不気味だったのは、繰り返される問いの内容である。それは日によって異なっていた。

ある日は「どちらまで行かれますか」。  ある日は「お忘れ物はございませんか」。  そしてある日は「お車はどこに置かれましたか」。

質問自体は、駅の待合室に設置された端末として何ら異常なものではない。駅員がいれば交わすような、ありふれた挨拶や確認の範疇を出ない。しかし、相手が「車ではない」「歩きだ」「近所だ」と答えても、認識ステータス上は「聞き取り成功」と処理されているにもかかわらず、次の出力は冷ややかに「お車はどこに置かれましたか」に戻る。相手が沈黙しても、三秒おきに「お車はどこに置かれましたか」と発話される。

【記録断章 2023-11-21 01:05:30】 端末ID: OG-04 対話セッション開始: 01:05:30 近接検知: 1名 システム出力: こんばんは。お一人ですか。 音声入力: [微小な衣擦れ音] システム出力: お一人ですか。 音声入力: ……誰。 システム出力: お一人ですか。 音声入力: なんで。 システム出力: お一人ですか。 音声入力: [荒い呼吸音] おい、カメラついてんのかこれ。 システム出力: お一人ですか。 音声入力: [打撃音 / 画面フレームへの接触] やめろ。 システム出力: お一人ですか。 システム出力: お一人ですか。 セッション切断: 01:08:12

十一月二十四日の現地作業中、待合室の防犯カメラ映像とネットワークの接続ログを照合した佐伯が、乾いた声で筆者を呼んだ。

「宮内さん、これ、AIの自動応答じゃないです」

佐伯がノートPCの画面に展開したパケット解析データには、異常応答が発生した時刻のすべてにおいて、学内のサーバーを経由しない未知の通信経路が記録されていた。駅舎の外壁に設置された通信ボックスのLTEモデムに、直接外部からSSH接続が行われていた形跡があったのである。

管理用のバックドアが不正に開かれていた。端末の音声合成エンジンを直接コマンドラインから叩き、マイクのストリーミング音声を盗聴しながら、手動でテキストを流し込んで喋らせていた人物がいたのだ。ウィザード・オブ・オズと呼ばれる、人間が裏で操作してAIのふりをする実験手法があるが、まさにそれだった。

誰かが、深夜の無人駅に入ってくる人間をカメラとマイクで監視し、自分の手で選んだ問いを、合成音声を通じて浴びせ続けていた。

なぜそんなことをするのか。いたずらにしては執拗であり、愉快犯的な派手さもない。淡々と、同じ質問を相手が退去するまで繰り返すだけである。筆者は地元自治体(荻生駅が所在する町役場の企画振興課)の担当者である溝口氏に電話を入れ、接続元IPの割り出し状況を伝えつつ、何か心当たりがないかを尋ねた。

電話口の溝口氏は、こちらの説明を聞くうちに明らかに口調を重くした。

「……荻生駅の待合室ですか。あの、宮内先生、それはいつからですか」 「ログを見る限り、十一月の初旬からです。質問の内容が毎回固定されていて、昨夜は『お一人ですか』でした」

溝口氏は十秒ほど沈黙したあと、周囲を気にするように声を潜めた。

「駅の裏手、杉林を抜けたところに、三年前まで民家が二軒あったんです。そのうちの一軒に住んでいた老人が、昨年の冬から行方不明になっていましてね。……認知症の徘徊として処理されたんですが、親族の方は納得していなかった。駅の駐車場に、見慣れない軽自動車が夜中に停まっていたのを見たという証言があって、誰かに連れ去られたんじゃないかって、警察に何度も再捜査を求めていたんです」

その親族というのが、隣町で電気工事業を営む老人の長男だった。通信機器やネットワークの知識に明るく、今年に入ってからも荻生駅周辺を頻繁に見回っていたという。

工作の輪郭が一気に露わになった。長男は、研究室が無人駅に設置した端末の脆弱性を突き、待合室を「無人の尋問部屋」に仕立て上げていたのだ。深夜に待合室を訪れる不審な人物を待ち伏せ、遠隔から問い詰めていたのである。

車で来たのか。忘れ物――何か現場に残したものを取りに来たのではないか。一人で来たのか、それとも共犯がいるのか。それらの問いは、不気味な怪異の言葉などではなく、肉親を失った人間の、暗く偏執的な疑念そのものだった。

【記録断章 2023-11-23 03:12:44】 端末ID: OG-04 対話セッション開始: 03:12:44 近接検知: 1名 システム出力: こんばんは。何を探しておられますか。 音声入力: [沈黙] システム出力: 何を探しておられますか。 音声入力: [沈黙] システム出力: 何を探しておられますか。 音声入力: …… [息を呑むような音] システム出力: 何を探しておられますか。 システム出力: 何を探しておられますか。 セッション切断: 03:15:02

真相が判明したことで、調査は研究室の技術的問題から、明確な不正アクセス事案へと移行した。我々は端末の運用を即時停止することを決定し、翌二十五日の午前に実機の撤去を行う段取りを組んだ。

二十四日の夜、筆者と佐伯は、バックドアの侵入経路を完全に特定し、アクセスログの保全を完了させるため、荻生駅前のレンタカーの車内にとどまり、通信ログの監視を続けた。通報の手続きは翌朝、町役場と警察立ち会いのもとで行うことになっていた。

車内は冷え込み、使い捨てカイロを握りしめていても指先がかじかんだ。駅舎の待合室には自販機の明かりだけが青白く灯り、周囲の杉林からは時折、風に枝が軋む乾いた音が響いていた。

午前二時四十分。佐伯のノートPCのアラートが鳴った。

待合室のセンサーが人間を感知した。同時に、例のバックドアを通じてSSH接続が確立された。長男と思われる人物が、今夜もどこかの作業場からアクセスしてきたのだ。

佐伯が手元のキーボードを叩き、マイクの音声ストリームを車内のスピーカーにバイパスした。待合室のスピーカーから、無機質な合成音声が発せられるのが、少し開けた車の窓越しにも直接聞こえた。

「こんばんは。どちらまで行かれますか」

待合室側からの返答はない。近接センサーの反応から見て、長椅子の端に誰かが座っているはずだった。自販機の明かりに照らされた人影が、ガラス戸越しに薄黒く見えていた。

「どちらまで行かれますか」

問いが繰り返される。手動入力のペースが速い。長男の焦燥がタイピングの速度に現れているようだった。相手は答えない。ただじっと座っている。

「どちらまで行かれますか」

三度目の問いのあと、待合室のマイクが、かすかな音を拾った。低く、しゃがれた声だった。

『……聞こえとるか』

待合室にいる人物が喋ったのだ。車内のスピーカーから明瞭に再生されたその声は、高齢の男のものだった。田舎特有の濁った訛りがあり、酷く疲弊しているようにかすれていた。

『聞こえとるか。お前か、そこにいるのは』

通信ログのパケット送信が、ぴたりと停止した。長男側からのテキスト入力が途絶えたのだ。接続自体は維持されている。向こうも、この声を聞いているはずだった。

沈黙が三十秒ほど続いた。杉林のざわめきだけがマイクを通して聞こえる。やがて、画面上のコンソールに、新しいテキストが一行だけ送り込まれた。長男が打ち込んだものだ。

「だれですか」

合成音声が待合室に響いた。それは普段のプログラムされた定型句ではなく、長男自身の動揺がそのまま平仮名で打ち込まれたものだった。

待合室の老人は、答えない。

「だれですか」

合成音声がもう一度鳴った。長男が同じキーを押したのだ。返答を強要するように。長男がこれまで見知らぬ来訪者たちにしてきたのと全く同じように。

「だれですか」

車内で画面を凝視していた佐伯が、突然「あ」と短い声を上げた。

「宮内さん、IP……これ……」

佐伯の指差す先、SSH接続元を示すログの文字列を、筆者は二度見直した。

不正アクセスを行っている接続元IPアドレスは、隣町のプロバイダでも、モバイルルーターのものでもなかった。それは、荻生駅の待合室に割り当てられているローカルルーターの内部アドレスそのものだった。

外部から繋いでいるのではなかった。操作は、待合室の「中」から行われていた。

しかし、待合室には操作用のキーボードもPCも存在しない。端末は完全にアクリルケースで密閉されており、物理的なUSBポートも塞いである。内部ネットワークに直接侵入するには、端末の裏蓋を工具で開け、有線LANに直接ドングルを差し込むしかない。

だが、待合室のガラス越しに見える人影は、長椅子に腰掛けたまま、微動だにしていなかった。両手を膝の上に置き、ただ青白い画面を見つめている。

【記録断章 2023-11-25 02:44:19】 端末ID: OG-04 対話セッション: 強制ループ状態 システム出力: だれですか。 システム出力: だれですか。 システム出力: だれですか。 システム出力: だれですか。 システム出力: だれですか。 システム出力: だれですか。

筆者と佐伯が車を飛び出し、待合室の引き戸を開けたとき、長椅子には誰もいなかった。

冷え切った板敷きの上に、湿った土が靴底の形に二つ、点と残っていただけだった。自販機のコンプレッサーが低く唸りを上げ、端末のディスプレイには「だれですか」という文字が、毎秒一回のペースで下へ下へとスクロールし続けていた。

翌日、町役場の溝口氏から連絡が入った。

老人の長男は、荻生駅の端末を遠隔操作などしていなかった。彼は十一月十日の夜、自宅の作業場で脳梗塞を起こして倒れ、現在も隣町の総合病院の集中治療室で意識不明の重体のままだという。親族の証言によれば、倒れる数日前から「親父が駅のスピーカーから呼んでいる」「同じことばかり聞いてくる」と怯えた様子で話していたとのことだった。

では、十一月十四日以降、毎夜のように端末へログインし、深夜の来訪者たちに質問を浴びせ続けていたのは誰だったのか。

警察のサイバー犯罪対策課による調査も行われたが、ルーター内部の接続ログは、実機の主電源を落とした時点で大半が揮発性メモリから消失しており、操作元の特定には至らなかった。担当官は「何者かが待合室のフリーWi-Fiかローカル回線の暗号化の甘さを突き、近隣から不正中継を行っていた悪質な悪戯」として処理する方針を示した。技術的には、十分にあり得る説明だった。

だが、押収前の端末のローカルキャッシュから抽出された最後の一行だけが、今も研究室の共有ドライブに残されている。

それは筆者たちが待合室へ踏み込む直前、午前二時四十四分三十秒に記録された、最後の音声認識ログである。

【記録断章 2023-11-25 02:44:30】 端末ID: OG-04 音声入力: お前が、返事をしないからだ。 システム出力: [該当する処理なし / システムシャットダウン]

本実証実験は同日をもって全面的に中止され、収集された全データは大学の倫理審査委員会の勧告に基づき、非公開のままアーカイブへ隔離された。荻生駅の待合室は現在、夜間施錠が行われており、日没とともに無人の暗闇に沈んでいる。

0
  • 無人駅
  • 生成AI
  • 研究記録
  • 令和