ホラムゲン

廿三戸の触れ

暗い木机の上に置かれた、墨で文字が記された古い和紙の触書

ねえ、あんた、去年の十一月のあの晩のこと、本当はどこまで覚えてるのさ。

寝てたって言うじゃないか、みんな。朝起きたら井戸の釣瓶が凍りついてて、味噌汁の鍋に薄氷が張ってた、ただそれだけの一夜だったって。役場の小使の長吉さんが夜通し提灯下げて走り回ってたのも、山越えの電信が雪で切れたから触れを出しただけだって、お役所じゃあそういうことになってる。

でもね、うちの裏の杢さんの爺さんは、あの晩ずっと起きて便所の小窓から外を見てたんだよ。杢さんの家は坂の上だから、下の辻から役場の前の広場まで見下ろせるだろ。あそこから長吉さんが持ってた提灯の火が、行ったり来たりするのを数えてたんだって。

あの晩、長吉さんが持ち歩いてた役場の触れの原稿ね。あれ、翌朝になって役場の前の掲示板に画鋲で留められてたのを見たかい。薄っぺらい美濃紙の、役場の手控え用の罫紙だよ。筆で書かれてたのは「明朝七時、点呼ノため戸長役場前に集合セヨ」って、それだけだった。それだけのはずだったんだよ。

杢さんの爺さんが言うにはね、最初の触れが回ってきたのは、まだ宵の口、暮れ六ツを少し回った頃だったそうだ。

カンカン、って例の板木を叩く音がしてさ。ほら、役場の使いが触れを回すとき、辻々で鳴らす樫の拍子木があるだろ。あれが下の橋のたもとで二つ鳴って、それから長吉さんの声がした。「お触れー、お触れー」ってね。あの人は声が無駄に甲高いから、谷底じゅうに響くんだ。

「大日本帝国陸軍歩兵連隊点呼予行につき、峰津村字滝ノ上、戸数廿三戸、明朝七時、役場前に集合セヨ」

二十三戸。当たり前だよね。この滝ノ上集落は、明治の初めに戸籍ができてからずっと二十三戸だよ。谷沿いにへばりつくようにして、上が杢さんの家、一番下が橋のたもとの炭焼きの善助さんとこ。それ以上は畑にする地面もありゃしないんだから、増えようもない。善助さんの倅も兵隊にとられて留守だったし、頭数は減っても戸数は二十三。

長吉さんは息を白く吐きながら、坂を登ってきて、一軒一軒の戸口でその紙を広げて読み上げた。杢さんの爺さんも玄関の引き戸を少し開けて、「寒いのにご苦労さん」って声をかけたんだとさ。長吉さんは「明日の朝は冷え込みますから、霜焼けに気をつけて」なんて言って、次の家へ向かった。それが一回目の触れさ。

それから爺さんは、囲炉裏の灰に埋めた炭に火を移して、湯を沸かして飲んだ。普段ならもう蒲団に入る刻限だけど、なんだか妙に谷が静かでね。いつもなら裏の杉山からフクロウの声が聞こえるのに、鳥の一羽も鳴かない。風もぴたりと止まって、ただ雪が湿った音を立てて屋根に落ちるだけ。

時計の振り子がカチ、カチって鳴る音ばかりが大きく聞こえて、爺さんは寝つけなかったんだそうだ。

二度目の拍子木が聞こえたのは、それから一時間もしないうちだった。

カンカン、ってね。爺さんは耳を疑ったよ。もう夜の四ツ、今でいう十時前だよ。こんな時間にまた触れが出るなんて、炭焼き小屋から火事でも出たのかと思って、慌てて便所の格子窓から首を出したんだ。

そしたら、また下の橋のところから提灯が上がってくる。雪の上に丸い黄色い灯りが落ちて、長吉さんが息を切らして登ってくるのが見えた。

でも、様子がおかしいんだよ。走ってるんじゃない。すり足みたいに、ものすごくゆっくり歩いてる。提灯を掲げた腕が、まるで見えない重い荷物でも持たされてるみたいに低く垂れ下がっててね。そして辻で止まって、拍子木を叩いた。

「お触れー、お触れー。峰津村字滝ノ上、戸数廿四戸、明朝七時、役場前に集合セヨ」

爺さんは首をかしげたって。「二十四戸」って言ったからさ。長吉さんは酒は一滴も飲まない人だし、読み間違いなんてするはずがない。役場の書記の佐藤さんが書いた原稿を、そのまま読んでるだけなんだから。

長吉さんは善助さんの家の前で立ち止まり、次のお松さんの家の前で立ち止まり、順番に坂を登ってくる。足音がね、妙だったって。ザク、ザク、って雪を踏む音が、ひとり分じゃないように聞こえた。長吉さんの足音の後ろから、ほんの半歩遅れて、もうひとつの乾いた擦れるような音がついてくる。でも提灯の灯りが照らす範囲には、長吉さんひとりしかいない。

杢さんの家の前まで来たとき、爺さんは思わず格子戸を開けて声をかけたんだ。「おい、長吉さん。いま二十四戸って言わなかったかい」って。

長吉さんは立ち止まった。提灯の火に照らされた顔がね、土気色を通り越して、まるで何日も川の水に浸かってたみたいに白かったそうだ。長吉さんは手元の美濃紙をじっと見つめたまま、爺さんの顔を見ようともしなかった。

「……書いてあるんです、杢さん」

そう言った声が、ひどくかすれてて、まるで奥歯ががたがた震えてるみたいだったって。

「佐藤さんが書いた控えに、二十四戸って書いてあるんです。墨がまだ乾いてないんです。役場の机の上で、さっき一本増えたんです」

爺さんが「何が増えたんだ」って訊こうとしたら、長吉さんはもう背中を向けて、坂の上の道へ歩き出していた。その背中を見送りながら、爺さんはふと気づいたんだよ。長吉さんの吐く息が、ちっとも白くないんだ。

外は手がかじかむほど寒いのに、提灯の火の周りだけが、ぬるい水の中みたいに淀んで見えたって。

それからだよ、おかしなことになったのは。

爺さんは部屋に戻って、柱のボンボン時計を見た。十時を過ぎたところだった。炭をつぎ足して、火鉢の前に座り直した。ところがね、いくら待っても十一時の鐘が鳴らないんだ。

振り子はカチ、カチ、と規則正しく揺れてる。長針も短針も、ちゃんと動いてる。それなのに、三十分ほど経ったと思って見上げると、針はまだ十時十分を指してる。気のせいかと思って目をこらすと、秒針がまるで水飴の中を進むみたいに、じり……じり……としか進まない。

なのにね、外の気配だけが、どんどん深くなっていくんだよ。夜の底が抜けたみたいに、冷気配が足元から這い上がってくる。障子の隙間から入ってくる風の匂いが、冬の雪の匂いじゃないんだ。夏の土砂崩れのあとみたいな、湿った、腐った葉っぱと深い泥の匂いが混ざったような、古い匂いがし始めた。

そしてまた、カンカン、って音がした。

今度は橋のほうじゃない。もっと手前、谷の中腹あたりから聞こえた。間髪を入れずに、長吉さんの声が響く。

「お触れー。峰津村字滝ノ上、戸数廿五戸」

爺さんは総毛立ったよ。時計を見たら、さっきと一分も変わってない。十時十一分のままだ。なのに長吉さんは、集落をもう一周回って、また登ってきたんだ。

爺さんはもう声をかける勇気が出なくて、雨戸の隙間に目をあてて外を覗いた。

長吉さんが歩いてた。提灯の光が、さっきよりずっと暗い。炭火が燃え尽きる寸前みたいな、赤黒い光になってる。その光の中にね、見えたんだって。長吉さんの影が。

影がね、ひとつじゃないんだよ。

提灯を持つ長吉さんの足元から、黒い筋がすうっと伸びてる。それはいい。でもその隣に、長吉さんより頭ひとつ背の高い影と、それから地面を這うような平べったい影が、ぴったり寄り添って歩いてる。長吉さんが右足を出すと、その影たちも一緒に足を出す。ざざ、ざざ、って、雪を踏みしだく重い音が、二重三重に重なって聞こえる。

長吉さんは、誰もいないはずの空き地の前で立ち止まったんだ。

そこはね、十年前にコレラで一家全滅して、家を取り壊して桑畑にしてあった場所だよ。石垣だけが残ってて、雑草と雪に埋もれてる平地だ。その何もない暗がりを向いて、長吉さんは提灯を掲げ、紙を広げたんだよ。

「……明朝七時、点呼ノため集合セヨ。遅参ノ者は……」

長吉さんが読み上げるとね、その桑畑の雪の上から、ぼそぼそと何かが擦れ合うような音が返ってきた。爺さんは息を止めた。人の声じゃない。大勢が濡れた着物を擦り合わせながら、暗がりの中で小さく頷き合ってるような、湿った気配がざわざわと広がったんだって。

長吉さんはそれに応えるようにぺこりと頭を下げて、また歩き出した。

「お触れー。戸数廿六戸」

四度目の声が聞こえたときには、もう時計を見るのも怖かったって。柱時計のコチコチいう音はいつの間にか止まってて、ただ振り子だけが無音で、左右に大きく揺れていた。

お前さんとこ、あの晩、本当に何も聞こえなかったかい。赤ん坊が夜泣きもしなかったかい。……そうかい。寝てたなら、そのほうがよかったんだよ。起き出して障子を開けたりしてたら、今ごろあんたの家も、あの数の中に数えられてたかもしれないんだから。

爺さんはね、布団をかぶって耳を塞ぎたかったけど、体が金縛りに遭ったみたいに動かなくなっちゃって、ただ便所の小窓から外を見続けるしかなかったんだ。

長吉さんは、歩き続けてた。坂を登っては下り、下っては登り、同じ辻を何度も何度も通る。そのたびに、読み上げる数がひとつずつ増えていくんだ。

「廿七戸」 「廿八戸」 「廿九戸」

声がね、だんだん長吉さんの声じゃなくなっていったって。最初は甲高い、あの人の声だったのが、低く濁って、まるで見知らぬ何人もの男や女の声が重なってひとつの口から出ているみたいに、太く、ぐずぐずした響きになっていった。

そして長吉さんが立ち止まる場所が、どんどん増えていったんだよ。

三十戸を超えたあたりから、道端のなんでもない杉の木の根元や、山肌の崩れ止めに積んだ石垣の窪みや、沢へ降りる細い獣道の前で立ち止まっては、紙を広げて触れを読んだ。そこには家なんてないんだよ。昼間見れば、ただの崖っぷちか、雪が積もった藪だよ。

でも提灯の赤黒い光が照らし出すとね、そこにあるはずのないものの輪郭が見えたんだそうだ。雪の斜面に、古い茅葺きの屋根の軒先が、ぬうっと突き出しているように見えた。石垣の隙間に、煤けた格子戸がはめ込まれているように見えた。いつの時代のものかもわからない、低くて小さな板葺きの小屋が、谷のあちこちに、折り重なるようにして現れ始めてたんだ。

谷がね、狭い滝ノ上の谷が、まるで何重にも引き伸ばされて、奥へ奥へと深くなっていくみたいだったって。

本来なら善助さんの家から杢さんの家まで、大人の足で百歩も歩けば着く距離だよ。それが、長吉さんの提灯を見ていると、いつまで経っても辿り着かない。提灯の灯りが、暗闇の奥へ、奥へと吸い込まれていって、豆粒みたいに小さくなる。まるでこの集落の中に、別の、誰も知らない何里もの山道が口を開けてるみたいに。

「三十五戸」 「三十六戸」

長吉さんの触れの声が、遠くから、あるいは耳元から、方角も定まらずに響いた。風もないのに、どこからか電信柱の針金がビーン、ビーンと震えるような音が聞こえてたそうだ。山を越えて敷かれたばかりのあの鉄の線が、夜の重みに耐えかねて鳴ってるみたいだったって。

爺さんはね、そのうち自分がいつの時間を生きているのか分からなくなったと言ってたよ。

窓の外は真っ暗なままだ。空を見上げても星ひとつない。雪は降り積もるでもなく、ただ空中に静止してるみたいに白く濁って漂ってる。自分の息を吸って吐く間が、一時間にも感じられるし、瞬きの合間に半日が過ぎ去ったようにも思える。

「四十戸」を数えたあたりで、長吉さんの提灯の光がふっと消えたんだ。

あたりが本当の闇になった。谷底の川の音すら聞こえない。完全な静寂の中で、爺さんは自分の心臓の音だけを聞いていた。

ドクン、ドクン、ってね。その心臓の音に合わせて、家の外の雪の上を、大勢の足が歩き回る音がし始めたんだ。

ざ、ざ、ざ、ざ。

草鞋の音じゃない。裸足の音でもない。もっと重い、泥に濡れた藁や布を足に巻きつけたようなものが、何十、何百と、家の周りを取り囲んで歩いてる。壁を擦る音。雨戸の節穴に、誰かが外から顔を押しあてて、荒い息を吹き込んでくる音。

爺さんは目を閉じて、神棚の神札に向かって念仏を唱えたそうだ。神道だか仏教だかも分からなくなって、とにかく知ってる祈り文句を口の中で繰り返した。

どれくらい経ったか分からない。耳元で、すぐ壁の向こうの暗闇から、あの濁った声が、ぼそりと聞こえたんだって。

「……峰津村字滝ノ上、戸数四十七戸。明朝七時、役場前ニ」

そこで声がぷつりと途切れた。

気がついたらね、障子がうっすらと青白くなってたんだ。

鶏が鳴いた。遠くで、下の村の鶏がいつものようにコケコッコーって鳴いたんだよ。その途端、部屋の中に張り詰めていたあの湿った泥の匂いが、潮が引くみたいにすうっと消えて、いつもの冷たい、刺すような冬の朝の空気が戻ってきた。

爺さんはへたり込んだまま、しばらく動けなかった。手足が氷みたいに冷たくなってて、立ち上がろうとしたら膝ががくがく震えた。

恐る恐る玄関の引き戸を開けて外に出ると、雪の上に、長吉さんの下駄の跡がついてたよ。でもね、不思議なことに、足跡は一本道じゃないんだ。杢さんの家の前の狭い道を、何十回も、同じところを行ったり来たりして、雪が踏み固められて泥のようになってた。

そしてその踏み固められた雪の中に、草鞋の跡や、形の定まらない足跡が、無数に、折り重なるようにして刻まれてたんだそうだ。坂の上へ向かって伸びる足跡はあっても、山から下りてきた足跡はひとつもなかった。

爺さんが坂を下りていくと、ほかの家の人たちも、何事もなかったような顔で雨戸を開けてたよ。善助さんは雪かきをしてたし、お松さんは井戸の釣瓶の氷を叩き割ってた。「昨夜は冷え込みましたなあ」なんて、普段どおりの挨拶を交わしながらね。

みんな、本当に何も知らなかったのか、それとも気づかないふりをしていたのか。爺さんにはそれが一番気味が悪かったって言ってたよ。

役場の前の広場に行くと、村じゅうの男たちが集まってた。電信で招集がかかった連隊の点呼予行のためにね。長吉さんは役場の隅っこで、焚き火に手をかざして小さくなってた。顔色は悪かったけど、普段の長吉さんに戻ってた。

爺さんが近づいて、「長吉さん、ゆうべは大変だったな」って耳元で囁いたんだ。

そしたら長吉さんは、焚き火の煙を目にしみらせながら、ぼんやりと爺さんを見て言ったんだよ。

「……何がです?」

「お前、触れを回っただろ。夜通し、何度も」

長吉さんは首を傾げて、懐からあの美濃紙の控えを出した。炭の火に照らされたその紙を、爺さんは覗き込んだ。

そこにはね、確かにこう書いてあったんだ。

「峰津村字滝ノ上、戸数廿三戸、明朝七時、役場前に集合セヨ」

墨の文字は乾ききってて、どこにも書き足した跡なんてない。二十三戸。それだけだった。

長吉さんは「夕方六時に一度回ったきり、役場の当直室で朝までぐっすり寝てましたよ。雪で戸口が軋む夢ばかり見て、ちっとも疲れが取れませんでしたがね」って、力なく笑ったんだそうだ。

でもね、あんた。これだけで終わるなら、ただの爺さんの幻覚か、長吉さんの夢遊病で済む話だよ。

話にはまだ続きがあるんだ。

その年の暮れにね、郡の役所から役人に調査が入ったんだよ。ほら、日露の戦で戸籍の整理が厳しくなって、戦死者の確認だの徴兵台帳の突き合わせだので、役人が古い帳面を全部調べ直しただろ。

役場の書記の佐藤さんが、その役人の相手をして、明治五年の壬申戸籍から、それ以前の宗門改帳まで、土蔵の奥から埃だらけの帳箱を引っ張り出してきて点検させたんだ。

そしたらね、見つかったんだよ。

天保の飢饉のときの記録。今から七十年ばかり前の、滝ノ上集落の古い記録帳さ。あの飢饉のとき、この谷でどれだけの家が絶えたか、誰も正確には知らなかった。ただ「大勢死んで、畑が山に還った」としか伝えられてなかったんだ。

その帳面の最後に、当時の名主が書き残した「飢饉死失並散乱家数帳」っていう綴りがあってね。そこに、かつてこの谷にどれだけの家があって、どの家がいつ途絶えたかが、びっしりと墨で記録されてたんだそうだ。

役人がその数を読み上げて、佐藤書記に確認を求めた。

「滝ノ上集落、天保四年以前の総戸数、四十七戸。うち飢死および離散により断絶せるもの、二十四戸。現存、二十三戸」

二十四戸。

……わかるかい、あんた。

二十三に二十四を足したら、いくつになる?

長吉さんが最後に読み上げた数だよ。四十七戸。

あの晩、長吉さんが増やしていったものはね、新しい家じゃないんだ。あの狭い谷底で、昔、飢えて死んで、戸籍にも残らずに消えていった家々を、夜の底から一軒ずつ、あの紙の上が呼び戻していったんだよ。二十四軒の、雪の下に埋もれた家を、一刻ごとに一軒ずつ。

時計の針が止まったんじゃない。夜のほうが長すぎたんだ。七十年分の死んだ時間が、あの暗闇の数時間の中に全部、無理やり詰め込まれてたんだよ。

今でもね、役場の土蔵の片隅に、あの晩の触れの原稿が綴じ込みの中に残されてるはずだよ。表向きは何の変哲もない、ただの古紙さ。

でもね、うちの人が役場の用事でその綴りを見せてもらったとき、紙の端っこを触ってみたら、そこだけ異様に冷たかったって言ってた。

紙の裏側にね、筆の跡があるんだよ。表の墨が裏へ染み出したんじゃない。裏側から、紙の繊維の奥から、別の墨が浮き出ようとしてるみたいに、黒い染みが点々と並んでるんだって。

数えてみたら、ちょうど二十四個あったそうだ。

あんた、今夜はもう雨戸をしっかり閉めて、早く寝な。外で板木の音が聞こえても、絶対に格子から覗いちゃいけないよ。

近頃また、山越えの電信の線が、風もないのにビーン、ビーンって鳴ってるんだから。

***

明治三十八年十二月四日 岐阜県郡役所庶務課

触書原稿綴其ノ三 査閲官復命書要領

今般、峰津村役場ニ保管セル諸記録点検ノ際、去ル十一月十二日付「字滝ノ上陸軍点呼予行口達控」ナル紙片ヲ検分セシニ、本文ノ記載(戸数廿三戸集会ノ旨)ニハ別段ノ不備ヲ認メズ。

然ルニ当該用紙ノ余白並ビニ裏面ニ於テ、薄墨様ノ斑痕多数散見セラル。村役場使番・長吉ノ申述ニ依レバ、右ハ「湿気ニ因ル紙質ノ腐蝕」トノ事ナルモ、拡大鏡ヲ以テ視察スルニ、何レモ「戸」「人名」等ノ文字ノ残欠ヲ成シテ整然ト配列セラレ、其ノ数凡ソ廿有四行ニ及ブ。

特ニ注目スベキハ、末尾ノ行ニ現出セル「長吉」ナル署名及ビ「現住」ノ二字ニシテ、該筆跡ハ現任使番ノ筆意ニ酷似スルモ、墨色ハ数十年ヲ経タル古墨ノ如シ。

尚、字滝ノ上現住人口ハ本年十月末現在ニ於テ男四十二名、女四十九名、計九十一名ナリ。之ニ対シ、右斑痕中ヨリ判読シ得ル姓名ノ総数ハ九十二名ニシテ、員数ノ符合セザル点ニ就キテハ、単ナル墨染ノ偶然ナルヤ、或ハ旧記帳面ノ漉キ返シ紙ヲ誤用セシモノナルヤ、現時点ニ於テ判明セズ。

追テ、同村使番・長吉ハ右査閲ノ翌日ヨリ原因不明ノ悪寒ヲ訴ヘテ登庁セズ、現下、自邸ニ於テ臥床中ナリト伝フ。

以上、参考ノタメ末尾ニ付記ス。

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